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27・ 居眠り猫
>>[[15142647]]
ご丁寧にありがとうございます。
勉強不足のせいで色々変な質問してしまってすみません。

>久坂さんが先生を尊攘運動の精神的支柱に祭り上げた

これは、松陰を美化して討幕の正当化を図ったということですか?
それともただ攘夷の根拠として久坂が利用したのを明治政府の外交路線が引き継いだということですか?

もうちょっと質問したいのですが、松陰といえば”教育者の鑑”みたいな風潮があると思うのですが、それはどうしてなんでしょうか?


22・ 虹彩
>>[[15131894]]
私もその考え方には賛成してしまいます。

今の政治自体が、未だあのクーデターの政府を引きずっているイメージが拭えません。

最近、松陰の言葉を現代風に訳した本を読みました。

?て感じ。

もう少し勉強しないと、良さがわからないかも。


21・ 居眠り猫
吉田松陰の思想がお好きな方々に質問です。

私見ですが、松陰は神国思想に過度に囚われており、それを他人に押しつけるのが異常に上手かった、と思っています。
その後の明治政府の清や朝鮮への態度を見てみると、松陰の教え子たち(伊藤博文や山県有朋など)が律儀に松陰の過激な思想(皇国史観、民衆と為政者の隔)をひきずっているように思えてならないのです。

アンチな私に松陰の良さを教えてください。
よろしくお願いします。

20・ 飛翔 流浪
>>[[14733371]]

 晋作は、試撃行に出る前は、剣こそは己の道だ、って思っていたので、長州では強い方だったかもしれません。じっさい免許皆伝ですからね。

 ちなみに、もうひとりの栄太郎も晋作とおなじく、長州の上士です。

 丹羽さんと新撰組が斬り合ったのは、じっさいにはないと僕もおもいます。

 新撰組関係の話は、実像が掴みづらいですよね。

 ありきたりですが、幕末で一番おそれられたのは、河上彦斎なんじゃないですかね。

 勝の話が印象的です。
 
19・ 居眠り猫
>>[[14732624]]
早速ありがとうございます。

wikipediaを調べたら高杉晋作は柳生新陰流の免許だと書いてあったので強いと思っていたのですが、太子流の道場に負けていたとは・・・。

吉田栄太郎が二人いたとは初耳です。何かのネタに使えそうですね。

丹羽精蔵の話は眉唾ものと聞いたことがあるのですが、どうなんでしょう。

18・ 飛翔 流浪

 龍馬と一緒に新撰組と斬り合って破った(?)人に、丹羽精蔵という人がいるそうです。
、幕末の三剣士は、一に男谷精一郎、二に島
田虎之助、三に比留間与八といわれるそうです。

 個々の経歴は詳しくわかりません。あまり剣客に詳しくなくてすみません。

 
 
17・ 飛翔 流浪
>>[[14732624]]
続きです。

 あと、吉田稔麿も剣術がうまかった説がありますが、疑ってかかるべきだそうです。なんでも、長州藩には『吉田栄太郎(同姓同名)』が2人いて、稔麿じゃないほうが強かったそうです。

 とはいえ、稔麿も剣術をならっているので、弱かったとは思いませんが、際だって強かったとは言えないそうです。


16・ 飛翔 流浪
>>[[14731565]]
 
 自分のわかる範囲で……。詳しい情報があったら自分も知りたいです。

 池田屋以外での新撰組のことはわからないのですが、まず、高杉晋作は、弱いです笑

 航海術を習おうとして、船酔いに挫折した晋作は、剣の道に進もうとして、『試撃行』という旅に出ます。

 栃木の壬生、あと松代で試合をしますが、田舎道場(聖徳太子流剣術だったとか)に負けてます笑
 
 以降、試撃行日誌には、試合のことは書かれてません。

 

15・ 居眠り猫
皆様のお知恵を拝借致したく。

倒幕派の志士(高杉晋作や平野国臣、入江九一、吉田稔麿など)の剣術の腕前を知りたいのですが、
実際に新選組などの捕り方と斬り結んだ人は誰がいますか?(池田屋事件以外で)

また、幕末において、この人は強い、というおすすめの人がいたら教えて下さるとうれしいです。
14・ 飛翔 流浪
>>[[14692714]]
 
 神州に異人を踏み込ませることも許せない、って人も多かったですからね。それを端的に示した事件が、維新後の神風連の乱だと思います。

 電信柱の影すら穢れだ、って感じだったはずですから。

 あと、攘夷の強硬派は、『破約攘夷』とも呼ばれるみたいです。
 安政の屈辱的条約を破棄して、攘夷することで結託して、王政復古しようというものです。

 あと、高杉晋作も周布との考えが微妙にちがうみたいですね。
 防長割拠論という、他藩の動向を気にせず、長州だけでも勤王を貫く、というものです。

 幕末は楠正成は大人気ですよね。その点、秀吉好きって人は少ないですね
11・ 飛翔 流浪
>>[[14692210]] 追記です。

 ただ、日本は西欧の兵制、武器も研究していたので、尊皇攘夷が頭でっかちな行為だと判明します。

 そこで、尊皇と佐幕を折衷した公武合体論、また現実に応じて外交する段階的開国などと、観念から現実に無理のない、方針に転換します。

 しかし、それも一部の碩学だけで、大半が観念にとらわれ現状を鑑みない暴徒、つまり聖戦ですよね、となって、半ば分裂します。

 そこに、観念と諦念による相剋があったといえるのではないですかね。

 煩雑な考えを長々とすみません。
10・ 飛翔 流浪
>>[[14692123]] 結論。

 尊皇が観念から、目標に変わったのが、井伊が朝廷を軽視して、アメリカと条約を結んだときからですね。

 植民地化した清の情勢を松陰、象山らは知ってましたから、日本にさして利がないのに条約をすることを危ぶんだわけです。

 アメリカの政情を知り、日本に外交する利があることを確かめたうえですべきだとしていたのですから。

 実際、先見性があって条約したのなら、それを諸侯に説くべきところを、井伊は弾圧にすすみます。


 そこで尊皇思想が担がれ、朝廷の一機関にすぎぬ幕府が条約することを越権とし、さらに軍艦に脅えた弱腰ならば、倒すべし、となり……さら
9・ 飛翔 流浪
>>[[14692033]] 続きです。

 で、本題ですが、平易にいえば幕末の混乱は、日本が植民地とならないために……というのが前提ですよね。

 異国との交流をたつ鎖国か、

 むしろ、異国から優れた文物(医学、大砲)を取り入れ、国力を高めたうえで、自立するか。

 
8・ 飛翔 流浪
>>[[14691962]] 続きです。

 とくに楠正成など、中国の史書にもおらぬような聖人英雄と捉えられ、そこで、水戸学という、古来から日本を一つにまとめ、大乱を鎮めてきた血統を尊崇する学問、思想、歴史観が登場するわけです。

 「大日本史」のような、大掛かりな通史がなかったので(とくに日本は軍記ものが多かった)、大日本史は知識人必読書となり、さらにその影響をうけた武家中心の通史、頼山陽の「日本外史」が人気を博します。
 
 この2つの史書により、尊皇思想が醸成され、とくに外様となる長州、薩摩では歓迎されます。(関ヶ原の怨みがあり、幕府を否定する観念が魅力だったわけです)
 

7・ 飛翔 流浪
>>[[14691908]]
 続きです。

 それで、いわゆる水戸黄門様が、史記に感銘をうけ、日本版の紀伝体の史書編纂を手掛けます。
 
 その過程で、つまり上古からの歴史を知り、古来より日本を支配してきたのは、朝廷であり、幕府は政治を任されているに過ぎない……という認識となります。

 山鹿素行らの影響もあると思いますが、朝廷からの歴史を辿れば、本朝(日本)は文明を有してから、一つの血統を護るために多くの忠義があり、実は儒教の理想を体現していたのは、他ならぬ日本だということになります。
 
6・ 飛翔 流浪
>>[[14691626]]

 ちょっと長くなりますが、自分の私見では……、

 まず、江戸幕府(家康)自体が、戦乱を潜り抜けてきた強かな体制で、幕府が危うくなったときの命脈として、尾張、紀州、水戸というように御三家に分けてます。
 
 そのうち、水戸を朝廷よりにして(尊皇)、幕府が危うくなったら、水戸の徳川家の血筋を前面にだし、血脈が絶えることないように組織してます。

 このあたりは、関ヶ原の毛利、真田と同じですね。
 つまり、情勢がどちらに傾いても、一方を生かすわけです。
 
4・ 飛翔 流浪
>>[[14691214]]
の続きです。

 象山の思想はちょっと把握してませんが、象山を弑した河上が、同じ理由で晋作とも反目するので、”段階的開国”ともいえるのではないですかね。

 ちょっとまた詳しくわかったら、訂正しますが、手元でわかるのはこれくらいです。力になれなかったらすみません。
 
3・ 飛翔 流浪
>>[[14691074]]
 
 しっくりとくる表現になるかわかりませんが、『高杉晋作、久坂玄瑞』という書物では、

「松門連壁と並称された久坂、高杉だが、思想はややことなり、久坂は、復古調の政体論を主張し、攘夷は絶対的聖戦。

 晋作は『攘夷而後開国』という周布の考えに同調した”段階的開国論”で開国を重視していた」

 

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