学者、思想家、哲人など
 歴史を大きく動かしてきた偉人たち。徳富蘇峰がいう、革命の三段階における、第一段階の人達について。  
2PV28コメ

0/1000 文字

書き込み 20件

27・ 上杉ゅぅ
>>[[15085570]]>>
桂々さんありがとうございました。
_(._.)_

大変参考になりました。
ありがとうございます。

難しぃ~ 難題でしたが…
さらりと交わしての分析は
流石に 素晴らしいです。

孔子と老子が比べられて評されますが
良く似ていますね。



20・ 上杉ゅぅ
>>[[14850306]]御教授ありごとうございました。
前に小説を読んだので少しずつですが
思い出しました。

あかねさすを読むと吉田松陰先生の
弔い合戦の様相が強いのかと
思っていました。

でも 長州は一直線で(高杉さんなどかその都度修正)
( 思想ゃ行いなどは置いておいて)好感がもてます。
確か徳川慶喜さんも長州の倒幕運動などは
それは それでよいと言っています。
だが裏切り者 薩摩は許せん!

歴史的に見ると幕末の風
トルネードを巻き起こして
時代の時計の針を進めたのは
長州の若き武士(もののふ)ですね。
講義ありがとうございます。
_(._.)_
19・ 飛翔 流浪

 久坂は高杉晋作より人望があったとのことです。塾生の発言でも、久坂にはどこまでもついていきたいと思ったが、高杉はただただ恐ろしかったとか、そんな話があります。

 で、禁門の変も、久坂の暴挙というよりは、久坂の周りの暴挙、殊に中村道太、と考えてます。

 中村は、高杉が久坂に、「あいつとは付き合わぬほうがよい」と忠告していた相手でもあります。

ただ、久坂は亡き兄の友で、しかも初期に多くの薫陶を与えられた道太とは縁を切れなかった。

 久坂と道太の禁門の変のとらえ方の違いは、あくまで道太は、破約攘夷を推し進めるための復讐の足がかりとした。

 一方で久坂は、京にて乱戦をするのではなく、あくま
18・ 上杉ゅぅ
>>[[14830369]]勉強になります。
無宗教なので表面的な事柄しか知りません。
陽明学=キリスト教?
難しすぎて解りません
少しずつ幕末の短編集などを書きながら
勉強します。
17・ 上杉ゅぅ
>>[[14830644]]勉強になります。
無宗教なので…
既存の~に迫害をうけたところなど共通点があります。
16・ 上杉ゅぅ
>>[[14835274]]久坂玄瑞さんは人望が薄かったと
記憶していまして…
それ故に吉田松陰先生亡きあと
見切り発信したのかと思っています。
(久坂玄瑞さんについては余り知りません)
長州藩など無くなっていいとも
確かいっています。
高杉晋作さんはもしもの時には
長州の殿様を背負うて逃げるといっています。
目標 志しは高くてもその方法論が
異なります。
池田屋事件のように目的達成の為なら

15・ 上杉ゅぅ
>>[[14835201]]義を見て為(せ)ざるは勇無きなり
人として行うべき当然の正義で
あるとわかっていながら実行しないのは
その人に勇気がないからである。

悪いことに立ち向かう正義感ですね。
14・ 上杉ゅぅ
>>[[14835274]]何と無く解るような気がします。
行動学…達成するまで止まらないと
書いてありました。
正しく戦争ゃ紛争などその
典型的な物なのかもしれません。
13・ 飛翔 流浪
>>[[14835201]] 続き

 そういったわけで、陽明学者は、行動を重んじるわけです。とはいえ、人それぞれですが。

 なかには過激な言動なく、善政にのみ反映させた、中江藤樹、熊沢蕃山がいますからね。

 また、聖学の教養が少なく、行動のみに注目して自滅した典型が、三島由紀夫といえるかもしれません。三島由紀夫が師と仰いだ安岡正篤さんは、三島に対して厳しい意見を抱いていたとか。

 久坂玄瑞の人生にも影響は大きいです。松陰がなくなったあと、伝習録を読む会を開いてますから。
 

12・ 飛翔 流浪
>>[[14830737]]  いろいろと混乱した文章ですみません。

 こうした現実に即したやり方が、「知行合一」という有名な言葉へと発展します。

 「知は行のはじめ、行は知の成るなり」ですから、
 知ることは行為のためであり、行為は、良知を現実に反映させたものでなければならない、と。

 これが陽明を信奉する人達の行動力の原理みたいなものでしょう。論語の、「知って行わざるは勇なきなり」と同じですよね。
 
 陽明は、我が門下生は、豪傑の士でなければならぬ、とも言ってます。

 つまり、百万にいくとも我いかんとする大勇を持ったものでなければ、良知を行為に変えることはできない、と
11・ 飛翔 流浪
>>[[14830644]]

 それで、良知は己のなかにある。それをいかに磨くかで、聖人となるか否かが決するとしたわけです。

 すみませ、また後で書き足します。 

 
10・ 飛翔 流浪
>>[[14830589]]

 キリストについては、有名なので触れません。

 陽明は、その生涯においても左遷、流謫など迫害されてますし、また、その当時の学問・朱子学と異なった教義を唱えたことから、彼の思想や、門弟も迫害されることになります。


 その最大の違い。朱子学は、良知というものは、書物から得るもの、聖賢の教えから得るものだと考えられ、それゆえ些細な字義の解釈に拘泥していたわけです。

 己のなかにあるとする陽明とは大いに違いますよね。

 朱子の学派が占めていた朝廷はそのころ、堕落していたわけで、事実、匪賊討伐で大功をあげた陽明を、権謀のために流謫しています。

 
9・ 飛翔 流浪
>>[[14830369]] 続き。
 いろいろと飛躍していたらすみません。天というのをもっと平易に言えば、道徳と考えてもよろしかと。道徳とは、古来から聖賢が求めてきたことで、それによって人間の文明が保たれてきたと考えられます。
 
 それで、道徳の体現が、今も論語の教義が示唆に富むように、古びることない己の表現となり、少なくとも史の上、事蹟のうえ、感化の上では永生することが可能になるということでしょう。

 キリスト教、陽明学の歴史的背景も似通っているところがあります。

 両者が迫害されたということです。
 
8・ 飛翔 流浪
>>[[14830247]] 続きです。

 キリスト教は来世を約束したわけですが、陽明学で来世に相対するものが、永生とでもいうべき理想です。つまり『良』が、天然自然、『知』はそれを知ること、知り尽くすこと。

『致良知』の三文字を陽明は提唱したのですが、それはつまり、良知を究める、良知にいたるという意味。ですから、致良知とは、天の意志を知り究めるとか、天の道を知りいたると捉えればよろしいかと思います。
 
 儒教の経典、『中庸』では、「誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり」
とあり、至誠をつくせば天の道へと通じる。天とは、この世に存在するものを生成化育してきたものですから、
7・ 飛翔 流浪
>>[[14830093]] 続きです。

 ルカは、己と神が一体だと説いた。それと同じように陽明は、
「良知は誰にでも備わっている」と説いたわけです。


 良知を平たく西洋風に言えば、神の意志になるのですかね。安岡正篤さんの言葉を借りれば、
『(良知の)良とは、性能の善いこと、優れた(勝れた)ことと同時に天然自然に備わったという意。それゆえに、根元的本源的究竟的意味を有する』
とのことです。

 つまり、両者で共通していることは、心のあり方によって至善にいたることができる、ということです。
 


6・ 飛翔 流浪
>>[[14829979]] 続き

 ルカ伝の言葉を象徴するように、キリストが弟子にしたのは、罪人や、けっして高潔とはいえない人物が主でした。
「神の救いは、そうしたものたちのためにある」と、キリストは説法するわけです。


 心を入れ替えれば、神の国にいける。キリストが神の子として世に誕生したのは、迷えるものたちにそのことを教える、啓示するためだったというわけです。

 
 そのてん、陽明学は来世とか、天国とかの約束はない。東洋人らしい、幽玄で、深奥な理想があるわけです。

 つまり陽明の学派は、死後の安寧をもとめず、現世における「立命」、言い換えれば、己の命を最大限世に役立て
5・ 飛翔 流浪
>>[[14829696]]
 ちょっとまだ自分のなかでまとめられてなかったので遅くなってすみません。

 まず、キリスト教のほうがわかりやすいと思うので――(なんだかんだいっても、西洋人らしい現実的考えがあるので)

 
 キリスト教で有名なのは、最後の審判、死後の世界のことだと思いますが、内村鑑三も、来世(死後の世界)を背景に読めと言っています。

 つまり、来世で天国に行く約束を得るために、その教義にしたがっている部分もあります。
(もちろん、そうした利益を無視しても立派な教義はあるのですが)

 で、ルカ伝に「それ神の国はなんじらのうちにあり」とあります。

 これが陽明
4・ 上杉ゅぅ
全体像が見えていないので
恥ずかしながらを通り越して
書き込みます。
初心者でお願いいたします。
_(._.)_

勉強になります。
よく分かっていないので…
下の通りだと行動学でしょうか?
久坂玄瑞さんなどもこれにより
蛤御門の変へと急進的な行動に
走ったのでしょうか?

でも キリスト教 聖書との共通点が分かりません( ;∀;)


中国明代の王陽明およびその学派の新儒教学説。元・明代に官学として重んじられた朱子学の主知主義的理想主義的傾向に対して現実主義的批判を加え,主体的実践を重視した。心が理であるという心即理(しんそくり),生来の道徳的判断力を発揮せよという致良知(ちりようち)
3・ 上杉ゅぅ
陽明学と聖書ですか?
難しいですね。
共通点が分かりません(((((゜゜;)
2・ 飛翔 流浪

 陽明学について。

 陽明学のおもしろい逸話といえば、長崎で聖書を閲覧した高杉晋作が、
「これは陽明学じゃないか」と、驚いたことですね。

 明治維新後に西洋文明を受け入れると、当時陽明学に傾倒していた内村鑑三など、多くがキリスト教の信者となってます。

 

/1ページ

20件