議論:死生観
【議論テーマ】生きると死ぬ、その線引き。 【テーマ詳細】 死んでも誰かの心の中で生き続けますか。植物状態は死んでるのでしょうか。そんな感じのことを教えて下さい! 【主観・世界観】死は絶対的な負のイ
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書き込み 12件

13・ 円託 逢出咲
>>[[30262354]] たしかに世の中には極々稀にそのような話も聞きますし、いわゆる前世 という考え方は気になりますよね。
自分も立ってられないくらいの吐き気と共にデジャヴに襲われる事が時々あるのですが、前世というワードが頭を過ぎったことがありますw

もしそのような魂(?)、それとも意識の塊みたいなモノによって自分という人間になる以前から支配されていると思うと少し怖いですが。
12・ 円託 逢出咲
>>[[30284852]] やはり人は生物の中で1番、死を恐れて定義したがってますが所詮はただの生き物ですものね!

どうしても寿命というものがやっぱりある時点で、その考えは真っ当だと思います。(何かしらに殺されて死ぬのがほとんどという話題は置いといて)
11・ tana
続き
人の細胞は、まあまあ早いペースで入れ替わっているとも聞きます。
一年前の自分、は、もう死んでいるかもしれません。
物質と魂は、結びついていない可能性があります。
ITでは、「物理」と「論理」という対比を使いますが、魂は論理的であるかもしれないです。
そうであるとしたら、前のポストにもあったように、誰かが自分を記憶していることが「死から解放されている」状態であるとも、言えるのかな?
取り敢えず以上です。何だかまとまらなくてすみません。
10・ tana
続き
死生観を考えるとき、魂のことも考えなくてはなりません。
例えば、生きている人間を縦に真っ二つに切り分けたとします。
その時、生命活動は数秒くらいは続きそうですが、その数秒間、魂はどちらに宿りますか?
おそらく、どちらにも宿るでしょう。
魂は、ある、ない、の2択ではないです。
「私の指先の細胞」とかも、下等生物ではあっても魂が少しだけ宿っていそうです。
一寸の虫にも五分の魂ですね。
続く
9・ tana
参加させていただきましたので、私の意見を書かせていただきます。
人が死について考えるとき、実は死ではなく生についてしか考えていないことに気づきます。
「死の後にどんな世界が!?」
いやいや、死んだらただの物質ですから、世界なんて無いと思います。
例えば、「自分の1メートル横の空間」は、何を見て何を感じているでしょうか。
何も無いでしょう。
死んだらそれと同じものになるのではないでしょうか。
続く
8・ CelestLetaler
>>[[30262354]]
テンプレ通りの書き方じゃないですけど、自分にはこういうスタイルが合ってるんです、許してください。
7・ CelestLetaler
死ぬっていうのは自分が体験したことがないと「認識している」ことなのですが、本当に体験したことがないのか、というのは何度も疑ってしまいます。
永劫回帰みたいな考えですけど、細胞的な意味で突き詰めたところの「誕生」より過去が一切自分に無いとはとても考えられなくて、すると死んだ後の未来にも一切無いとは思えない。すると無限ループを信じなくてはならない。
だから自分の作品の人物に来世は保証されてるんですよね。何もないことの虚しさを知ってしまったために苦しくても有にすがる存在、でもそのことに疑念はあまり抱かない者達。それが理想でもあります。
6・ 円託 逢出咲
>>[[30179638]]
そこで“生きる”は定義できるので、生きるが定義できるときαが定義できるのかを調べましょう!
生きるが定義できるような定義が存在できる(以下生きるが存在する) ならば αが定義できるような定義が存在できる(以下αが存在する)
が成り立ちます。ですがこんな条件何の役にも立ちません。やはり
生きるが存在する ⇔ αが存在する
ことを示さなければなりません。これは存在するか分からない幽霊のようなαが存在すると証明するんです。ですが、実は証明できます!
証明できますが、500文字に収まる気が全くしないんで省略します(笑)

なんにせよ、“生きる”とはどのような事
5・ 円託 逢出咲
>>[[30174858]]
考えまとめてて返信遅れました!コメントありがとうございます!(←不器用)
空の境界と虐殺器官はそこそこ読んでました。(ハーモニーは読んだことないんですよね・・・・・・)

主題に触れると、、、
その考えよーーく分かります! やっぱり死の定義から考えるべきですよね! 自分は哲学的というよりさらに抽象的な概念の浅い浅い考えですが、死の定義は昔考えたことあります。

(作用反作用の法則やルシャトリエの原理を学んだ頃から薄々思ってて、そのあと超対称性粒子の予言などから感銘を受けて「あらゆる物事には対称性があるのでは?」と考えたときです)
自分は全ての物事には“
4・ チヒロ
>>[[30174858]]

支離滅裂で申し訳ありません。
3・ チヒロ
生きると死ぬ。

夭折の作家、伊藤計劃の作品を読んでいると否応無しに考えさせられる。
彼の処女作「虐殺器官」を読んだことは?彼の二作目であり、人生で最後の作品、「ハーモニー」を読んだことは?


死は何処から?それがわからないなら逆を突く。
「生きている」そう言えるのはどの範囲か。
心停止は死か?脳死は?身体的な死と精神的な死。
奈須きのこの「空の境界」ではその者を覚えている限り死は終わりでは無いと言う。

死生観を語るのならば魂の有無を前提とする。その場合、生に終わりはないという思考と同時に、肉体的な死こそが全ての結末だとも考える。
2・ 円託 逢出咲
死は絶対的な負のイメージを背負っています。割れたガラスと同じ、不可逆だからです。
ですが、死でもある種の救いになることもあります。これは死をゴールラインとして見たときに、耐え難い苦痛や自己犠牲でプラスイメージとして表現されるパターンですね。これを上手く表現できた作品はほんとに好きです。「幸福なツバメ」とかですね。

これへの反論でも、自分の中の死についてでもお好きにお話ください!

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