第五回 宇宙の始まりと終わり
 宇宙とは絶対的な存在であり、人類が誕生して何百万年、いかなる制約や束縛も受けずにその存在は揺るがなかった。そんな宇宙も、最近では始まる瞬間が存在したとするビッグバン宇宙論が支持されており、宇宙の終焉
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12・ にわかの底力
若干無理矢理に話を戻すけど、精神の世界が存在していたとして、宇宙が誕生した瞬間〜かどうかわからないけど、なぜ肉体(物質)の世界と分離してしまったのだろうか。
11・ にわかの底力
>>10 ・新川キナ さん
うーん哲学。デカルトの実体二元論ではこの世は物質と精神のふたつの実態が存在するなんて考え方があるけど…。

心が存在する脳の活動は電気信号に近いもので、ある程度物理学、〜まぁ脳科学の分野になるのかなぁ〜で説明できるらしいけど、かといって人間その他生物は何か法則に基づいて行動しているかと言われると、いや、我々は意思に基づき行動して、時々理に適わない行動なんかもとっていたらするし…。

ワイも腹減った
10・ 新川キナ
人間の思考って物理法則の中にあるのか外にあるのか……
人間の精神は法則に従っているのかいないのか……

それはそうと、お腹空いたな……
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9・ 新川キナ
>>7 ・にわかの底力 さん
人間の思考
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8・ にわかの底力
つまり、規則性は誰が見ても規則性であって、混沌とは全く別の概念なのではないかと私は思ってしまいます。まぁ、所詮我々はその規則性の中で生活している有機物なので神の視点はわかりませんけども。
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7・ にわかの底力
>>6 ・新川キナ さん
どうなんでしょうか。摂氏は水の融点から沸点を100等分した値だから、水は規則正しく100度で沸騰する。だけど、お隣の国は羊の体温を12等分したから沸点融点は非常にキリの悪い数値になる。

みたいなことでしょうけど、これは時間などと同じく人間が勝手に切り分けたものなので、別の宇宙にも温度や時間の概念があったとて、その読み取り方に違いがあってもなんら不思議ではありません。

それはそうなのですが、光速。もし他の宇宙から私たちの宇宙空間内の光が見えたとして、その速さが一定であるように見えることには変わりないと思うのです。それは他の宇宙から見て、我々の宇宙が彼らの宇
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6・ 新川キナ
たまたま人間にとって都合のいい規則性のある状態になっただけ。

いや、人間にとって都合がいい規則があったから人間が誕生したのかも。
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5・ 新川キナ
>>4 ・にわかの底力 さん
元々、たまたま混沌が規則を形作っただけで。規則性のある状態が稀というか不安定というか……
規則も数ある混沌状態の1つでしかないんじゃないかなと。

そもそも規則という定義は人間にとって都合がいい状態でしかないんじゃないか。

もし別の法則が働く世界に宇宙人が居たとして、彼らの考える規則は、私たちの考える規則性とは別物だろう。なので規則も結局は数ある混沌の1つなのかも、とか。

規則性のある状態も混沌の1つなら、いずれは別の形に変わるんじゃないか、と思った。
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4・ にわかの底力
>>3 ・新川キナ さん
なるほど。カオスに対してこの宇宙は秩序の世界と。
まさにコスモス宇宙論ですね。

この宇宙には物理定数が存在し、あらゆる現象に法則が成り立ち、方程式で表すことができる。この仮説を裏付ける確かな証拠となるわけだ。
逆に、宇宙が終わる時はその物理法則が崩壊する時。それが将来起こるとして、それは宇宙に『終焉』が訪れるよう予めプログラムされているのだろうか。
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3・ 新川キナ
混沌があるのではないか?
全てが煮詰まった混沌。
この宇宙も他の宇宙も含めた全ての元になる物がそこには存在していて、たまたま数ある混沌の中に、この宇宙の法則が出来て弾けた。

宇宙の終焉は、再び法則性が崩れ混沌に帰るのではないかなと。
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2・ にわかの底力
ちなみにですが、科学的視点、哲学的視点、宗教的視点特に視点についての制約はありません。ただただ怖い、不思議などの意見でも構いません。何が怖いのか議論しましょう。気軽にご参加ください。
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1・ にわかの底力
宇宙の始まりが存在して、それ以前は何が存在していたのか。
今回の議題は第一回の内容にも関わってくる気がする。
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