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"どうもありがとうございます! いただきます!"
その文字からは、愛嬌なんて微塵も感じられない。
これを打ちながらきっと、時々俺に向けるあの胡散臭いものを見るような眼差しをして、そして周りを気にして内心は怒りに震えていたんだろうと思うと、思わず頬が緩んでしまった。
『あれぇ、なんかニヤニヤして、どうしたの、資ぃ』
『ちょっとね、デザートを食べようと思って』
どんな顔してケーキを受け取ったのか、想像しか出来ないのが残念だ。
俺も、箱から取り出してティッシュに包んで取っておいたガトーショコラを手元に広げた。
『――――――あ、いいなぁ、ガトーショコラだぁ!』
案の定、財津が目を輝かせてきたけれど、
『これはあげない』
『ちえッ』
俺の応えを予想していたのか、特に食い下がる事もなく撤退してPCに冷ました目を戻していく。
『…』
そう言えば未確認だった。
送った箱の中には、ちゃんとフォークは入っていたのか。
藤代さんからのお礼に返信する気はなかったから、当然、何で食べたかなんて話かける事はしない。
引き出しの中から、いつの間にか溜まっていた割り箸を取りだしてケーキを刺し割り、かなり大き目のサイズで口の中に放りこめば、
甘さの中のほろ苦さ。
カリカリの表面、けれど中身はしっとりと柔らかい。
藤代さんに似ているなと、食べながら漠然と思い、
――――――そう考えた自分に戸惑いながらも、やっぱりまた、顔がだらしなく伸びるのを止められない。
『だからさぁ、顔がニヤけてるんだって、資』
チラ見してきた財津に指摘されて、咳払いを一つ。
真顔に繕って、誤魔化すように次の一口でビターな甘さを味わっていると、財津が珍しく投げ捨てた筈の会話の続きを求めてきた。
『どうせ藤代ちゃん絡みなんでしょぉ? いつものノリで軽く始めちゃえばいいじゃーん。噂のあった堂元さんは結婚して片付いて、今は彼女、フリーなわけだしぃ?』
『…同じ会社なんだから、そういうワケにはいかないだろ?』
『ええええ? それって建前ぇ? それとも真面目?』
『…だから、別にそういうんじゃないだって』
『変なのぉ』
――――――解ってる。
自分の中に、はっきりとした分裂が見える。
これ以上は近づきたくない気持ちと、
もっと近づいて手に入れたい気持ち――――――。
――――――ユキ…。
初めて会った時、連れ帰りたいと直感的に思って、
ここは寮だし、環境を整える事も出来ないし、ああでも、自分だけに特別に反応してくれる態度は可愛くて、
"居ついたな"
笑った咲夜に、ホッとした。
ユキが、自ら選んで気まぐれに傍にくる。
そうしたら俺は、その時に全力で構えばいい。
でも去るなら、俺に責任は生じない。
歪んだ思考。
自分主義。
そんな自分と向き合ったのは、ユキが死んでしまうかもと咲夜に呼ばれて迎えに行ったときが初めてだった。
一心に向けられる、判り易いユキからの全部が嬉しくて、自分を求めて弱ったというユキを、俺も全部で受け入れた。
『いっそ猫なら、簡単だったんだけどね』
頭の中のセリフだったはずなのに、どうやら口にしてしまっていたらしい。
『猫にしちゃえばいいじゃーん。良いグッズあるよ? リンク送ろうか?』
そう言ったと同時にURLがチャットボックス内に出てきて、開け開けと点滅している。
『…ったく…、――――――…ぅ』
クリックした先に表示された、白の猫耳がちょっと、
『ね? 可愛いでしょ?』
『…まあ、猫だしな』
『もぉ、素直じゃないなぁ。絶対に藤代ちゃんはバチっとハマるでしょ』
断言した財津に、力いっぱい頷いて同意しそうになった事は、とりあえず胸にしまっておこう。
カレンダー上の一般的なイベント日は、実は驚くほど企業間を繋ぐパーティが多い。
大々的なものからそうでないものまで、それを名目に一定の趣旨を以って集まって情報交換をする格好の場所となっていて、特に今日のクリスマスは、それなりの役職がついている人間にとっては、アタリを付けた各所への練り歩きの夜だ。
咲夜は、本日はロランディとして真玉橋さんと三つ掛け持ち、うち一つには財津も合流して、目黒さんは半年前から申請していて完全オフ。
俺は企業の秘書サークル的な交流会が一件、それと土方の親族としてのパーティがホテルの大ホールで一件。
…これは多分、見合い的なものが兼ねられている気配はぷんぷんしている。
佑曰く、
"親父はね、お前を政略的な駒にするつもりはないけれど、でも縁があれば利益がある女性と――――――なんて打算も最初から捨ててはいないって事だよ"
まあ、綺麗事を並べられるよりは許容し易いし、特に反発もないけれど。
カードケースに入れていた名刺がそろそろ切れそうになった頃、俺は一息吐くためにトイレ帰りの足をそのままホテルのロビーへと足を向けた。
広さが十分に取られたそのロビーは一人掛けソファの一つ一つも大きくて、一人の時間を堪能するにはうってつけの休憩場所だ。
所々にある太い柱や背丈のある観葉植物で、人の目を避けるポジショニングも選び放題。
ちょうど柱を背にして外を眺める位置取りの席が空いていたから、一直線にそこを目指して腰を下ろす。
じわじわと、地の底に力が吸い取られるみたいに脱力した。
少しお酒も入っているからか、心地良さがとにかく身に沁みる。
万が一に備えて十五分後にアラームをセットして、目を閉じて――――――、
『なぜ僕に訊くんです? 直接ユキに訊くべきじゃないですか?』
激昂を潜ませている、そんな熱を感じられる声が耳に届いたのは、割とすぐの事だった。
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