シヴ

「…………」  仁花はディスプレイに映ったままの文章を見ながら、手を止めた。  だとしたら、自分の行っていることはとてもくだらないことのように思える。 物語と現実、裏と表、二人の仁花が自らこそが現実であると主張する。 しかし、だ。 その争いに意味はあるのか、勝者が手に入れる物は、敗者が失う物は。 いくら主張を重ねようとも、元々決まっている「現実」と「物語」という確定的区分から逃れることは不可能だ。 合わせた鏡に移る景色のように無限に続く輪廻は交わることなく、隔絶されて自らの運命を紡ぐだけ。 だとするならば、自分が真に行わなければいけない事は何だろうか。 この不毛な哲学的思考を自分の脳内で延々と続けることか。 他人の紡いだ物語へ強制的に勝手に手を加えるという、最低な好意を行い続けることか。 どちらも否だ。 パソコンの電源を切った仁花はコートを着て七畳間の部屋から飛び出し、家を出る。 向かう先は悟猿の家だ。 家の門を開け、家のドアを勝手に開ける。 二階に駆け上がり、悟猿の部屋を扉を開け放つ。 驚いたように振り返った悟猿は、突然現れた幼馴染みに目を丸くした。 「仁花!? どうしたいきなり?」 荒がる息を整えて、仁花は言う。 「悟猿兄!」 「な……なんだ?」 「こんなこと、もうやめよう!? 私もう嫌だよ!」 仁花は悟猿の部屋に足を踏み込む。 「悟猿兄にとっての現実はその中じゃない! ここなんだよ! 私がいる、悟猿兄のいる、ここなんだよ!」 仁花は知っている。悟猿がなんで小説にのめり込むようになったか。 現実を直視して、それに耐えられなかったのだ。世界は理不尽と身勝手と醜さでできているという風に、現実を見てしまったからだ。 人間という生物が持つイデオロギーと言う名の答えの存在しない不確定要素に絶望を覚えたからだ。 仁花は悟猿に駆け寄り、小さな子供のようにその胸に飛び込む。 「うわっ!?」 悟猿は仁花を辛うじて受け止めながらも、押し倒される形で後ろに倒れる。 「な、何だよ、仁花……」 「私はここにいるの! この世界にいるの! この次元にいるの!」 困ったように眉をひそめる悟猿を見て、その大きな胸に額を寄せ、仁花は呼吸を落ち着かせ、言う。 「私達はこの次元じゃないと触れ合えない。だからお願い、私を置いていかないで。この世界から逃げないで」

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