千古不易

イベントより参りました、今回のレビューが作者様の糧となればと願っております。 第一に、思った事を正直に御話致します。私はこの作品を読み『作文』だと思いました。これは嫌味ではなく、本心からです。小説の書き方は他の言葉を使うものとは明らかに異質なものなのですが、これを意識せず紡ぐには相応に学ばなければなりません、他人に口で説明出来るまで理解してやっと小説の基本を学べる訳ですね、私も最初は出来ませんでしたよ、かなり頭が宜しくないので作者様より酷いものでしたから。ともかく。 例に出すなら、最初の頁。 『その時、後ろを振り向こうとすると男性が無 理やり後ろから抱きついてくる』この文章は可笑しいのですよ、終始この文法上の欠陥が多々見受けられます。事細かに説明させて頂きますが。 『後ろから抱きついてくる』の『くる』が不可解なんですよ。一人称であればこの文章は他人事過ぎるもので、使い方を誤り読者に違和感を与えてしまいます。『後ろから抱きついて来た』のように、一人称であれば不意、唐突な出来事に後から気付くものです、加えて一人称では心情と背景描写、説明のバランスが重要で、読んでいて登場人物の姿が明確に想像出来ないのが要点ですね。 全体的に地の文が少なく、風景にしろ動作にしろ、良く分からないですね。風景の説明が粗く、白紙の上で唇だけが会話しているような気さえしましたね。主人公の心情の変化も粗末に扱ってしまっており、重要な場面がさらりと流れていて印象に残り難い。 背景描写、主人公の一人称視点ならば主人公の見るもの、また五感全てに意識して書かなければなにをしているのかが分からないものです。全てを一から十まで書いてしまうとそれは最早『作文』になりますが、小説と作文の違いは如何に『一から十まで書かず』正しく伝えるかになります。 作者様が伝えたい事を今一度熟考し、正しく伝えるにはなにを書くべきか、なにを伝えるべきか考察して語らねばなりません。例えば部屋にいるならば、どんな部屋でどのような形か、匂いは、なにか音はあるのか、感触、気温、色、印象を物語の流れに絡めて自然に説明する必要があります。 説明を説明と思わせずに伝える方法も、色々分からない事だらけなのだと私は思っております。焦らず、数多くの小説に触れてゆっくり学んで行きましょう。 ではまたの日を。なにかあればエッセイにどうぞ。

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