覇王樹朋幸

 私の実家には、私が高校生になる直前くらいまでのアルバムしか存在していない。私が高校生に上がってから、一体何が起こったのか。いや、その、私個人がグレたとか、そういうのは置いといて、だ。最も明確な理由は、親がデジカメを買ったのだ。これまで使っていたそれなりに高い、フィルムを使うカメラはそれ以来お役御免となり、それから先の旅行における写真は全て画像データとして保存されることになった。画質の劣化もない。複製だって簡単だし、プリントアウトはクリック一つでできてしまう。便利なことこの上ない。しかし、それらが実際にアルバムとして形に残ることは、それ以来なくなってしまった。家族で、アルバムを囲んだのはもう何年前の話になるだろうか。ひょっとしたら、もう二十年は前の話になるかもしれない。その当時、小学生だった自分が、写真に写る幼稚園生の自分のしかめっ面を見てなんでこんな顔してんの! とか、家族で笑いながら見た記憶は、今でも良い思い出として確かに私の中に残っている。  形ある物の、いくつかはデータとして変換、保存が可能である。しかし、その形ある物に纏わる「何か」は、決してデータ化されることはない。データは、まるで工場で生産される人形のように、否、より簡単に複製が可能である。手元に形として存在する本だって、元はそのように大量生産の恩恵にあやかって生まれ出でたものであるが、しかしそれが人の手に渡った瞬間から、それはその人にとって特別な何かになる。  記録媒体の歴史はレコードから電磁テープ、光学式ディスク、ハードディスクに移り、今やクラウド化されるのが主流とすらなりつつある。目には明確にはどうなっているかは判別がつかない、だからこそのクラウドサービスなのだが、我々はその雲から降り注ぐ恵みの雨という便利なサービスを享受するだけ教授することができる。便利な反面、そこにはそこはかとない物悲しさと、得体の知れない恐怖がどうしても付き纏う。そして考える。本当に、こんなデータを持つ意味なんてあるのだろうかと。  誰かと一緒に居ても、スマホから目を離せない人が増えている昨今、データなんかよりももっと大切なものがあるのだということに気が付くべきなのではなかろうか。そんな、心の叫びが、本作から聞こえてくるような気がした。
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>Phi Fernotさん 作品をお読みいただき、ありがとうございます。 また、大変すばらしいコメントをいただいてしまい、何度も読み返してしまいました。ありがたすぎて、眼がにじんでしまいます……。 データ化という時代の流れは変えられないのでしょうが、そうできないものを愛しむ想いもまた、つながっていってほしいなと想うばかりです。 重ねて、ありがとうございました。
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 子無狐さん  ご返信ありがとうございます。色々と修行中の身ではございますが、喜んで頂けたようであれば幸いです。最近、レビューも長々と書くのもどうなのかなと思い始めております……。  私自身も執筆は手書きなので、実は割とアナログスキーです。  良い作品をありがとうございました。
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