天川 青大

ケータイ小説の考察には感銘を受けました。 小説にもなっていない作文がエブで蔓延る(はびこる)理由が理解出来ました。 教養の無い学生がメールの延長で、お気楽に書いて、それが小説であると誤解されていた為だったのですね。 一つ、スッキリしました。 【生きるべきか~】の章の記述ですが 実は、これこそが文学であると言えると思います。 今、自分はこんなにも苦しい、辛い、切ない、胸が張り裂けそうだ、どうしていいか解らない。そうした胸のうちの想いや実感を経験しない人間は、失恋の物語を書けません。つまりは人間の本当の有り様を描けないと言う事です。 悲しく辛い局面を何とかして乗り越えようと足掻きながらに人は成長するものだと思います。 そんな時、優れた小説に勇気づけられた事を思い出しました。 文学も含めて、映画、音楽、絵画等、芸術作品は、その為に存在します。 人を勇気づけられぬ作品など、所詮、自己満足の作文に過ぎません。 因みに山本周五朗の作品は、お薦めです。
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こんな下らないエッセイに素敵なレビュー有難うございます、 誤解というか、あれはあれで小説だとは思うのですが、 どちらかというと読み手側より書き手側が誤解してたのかもしれませんね、 確かに別れた時は恋愛小説書きたくなったり読みたくなったりしましたよ、 失恋や不幸も糧にしてクリエイター活動頑張っていこうかと思います、 私も誰かに勇気を与えるような作品をいつか手掛けたいですね、

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