杏樹

思えば私は子供らしくない子供だった 例えば幼少期、スーパーで迷子になると泣きもせずすぐレジの店員に助けを求めたり、 親友に「杏樹ちゃんよりMちゃんの方が好きなの、ごめんね。」と言われても意外と冷静だった。好いてもらえるだけでいいと思っていたのだ。 歯医者で虫歯予防にフッ素を塗るのだが、私は口を決して開けなかった。皆は私が何がなんでも開けないので諦めた。そもそもフッ素は体にあまり良くないのだ。防衛本能というのだろうか。 お菓子も好きではなかった。お菓子のパッケージに喜んだりはしたが、中身には手を一切つけなかった。 小学校ではもし両親が別れたとしてどちらに着いていくかを考えた。父は不動産や、音楽、映画関係の仕事をしていて、よく出張していた。母は亡くなった祖母の代わりに父の実家の銭湯の番台をしていて病気気味だった。私はすぐ決めた、母に着いていこうと。理由はただ父が家に居ないときが多いからとかではない。母を一人にすると心配なのだ。母を一人にした場合、変な詐欺に引っ掛かったり、悪い男に騙されるかもしれないと不安が積もるばかりである。前にもそんなことがあり、その場は父が収めた。暫く母は涙脆くなってしまったが、今ではキビキビ銭湯の仕事をしている
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ワタシは母について行ったなぁ。 父親の仕事自営業で不安だったし、母の方が態度とか態度とか態度とか悪かったけどお金あったし。保険沢山入ってるし。母方のお婆ちゃん金持ちと結婚してたし。 あ、家も母子家庭。
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おはwwww学校という名の戦場へ行ってくるwwww
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