たすう存在

一読して印象的なのはその無国籍感―― シーディーとカタカナ表記される記録メディアが不思議な味わいにもなっています。 それから矛盾の塊のような少女―― イエリ(この名前もまたどこの国にも属していないように見えます)の容姿特徴も、この世の存在であるようには見えません。 真冬なのにノースリーブの真っ白のワンピース 鳶色の瞳と枯れ草色の髪 裸足 大量のシーディー 枯れ草色とは実際には黄緑系の色ですが、どちらかというとそれが指し示す色よりも「枯れ」という単語が目を惹きます。 永遠に世界を旅する存在であるイエリは章タイトルページでこそ「誰かわたしを愛して」と語っていますが、どこかしら諦観したような透明な存在として描かれています。 そして最後の想いの吐露では世界を残酷だと言い、それでも幸せだと笑います。 ですが僕にはこの笑いはあるいは嗤いのようにも感じました。 残酷な世界のトリックスターである少女は、世界に対してどこか諦めながらも人を愛し続ける戦いを挑んでいるように見えます。 実際に世界は残酷です。 世界がイエリに救わせるのは、その人を待ってくれる人がいる人だけ。 事故を起こした電車の、死亡したほとんどの乗客にはきっと待ってくれる人がいなかったのでしょう。 彼女の所有するCDは、救うことのできた人たちの声なのでしょうか。 そしてそれのみを拠り所として、彼女は孤独な旅を続けるのでしょうか。 木枯らしのように透明で美しい物語でした。 なんとも言えない余韻をありがとうございました。
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