ワタル

小説はリアリティー、リアルであるべきといわれる。もちろんファンタジーにはファンタジーの、SFにはSFの世界観や法則が必要になり、読者に納得してもらう道理が要求される。 だがここに落とし穴がある。作品の地固めをするあまり、本来なら裏設定で十分なはずの事柄や脇道にそれた説明を長々と書いてしまう恐れがあることだ。 さて、ガンダムはスーパーロボット全盛期に、あえてリアルを打ち出して成功したと言われている。たしかに、無尽蔵にあるエネルギーがありビームを連発するスパロボに対し、ガンダムは弾切れをおこしてしまう。またメカのみならず、最前線で戦う主人公たちに軍はまるで援助をしてくれなかったりと、戦時における社会の混乱や厳しさという面のリアルも描いている。 だがガンダムが弾切れをおこすという「縛り」があることで、視聴者は「なら、他にどんな武器がセットされているんだ?」「主人公はどんな方法でピンチを乗り切るのか」というワクワクを得られる。軍の上層部は腐っていても、中には主人公に協力する者も現れ、そこからは感動が生まれる。 例え話が長くなってしまったが、リアル、リアリティーはただ読者に言い訳するためのものでもなければ、主人公たちを縛り不幸にするためのものでもない。リアルにすることで面白さが損なわれるなら、いっそファンタジーやガジェットSFに割りきった方がいい。 昔、リアリティーに固執する人からこんな話をされた。古代中国である民家が、通りすがりの権力者をもてなそうとしたが金も食材もない。そこで妻を殺し人肉を振る舞った。現代人は気味悪く思うだろうが当時では美談であり、時代ものを書くならそういった部分を再現しなくてはいけないと。 しかしこれ、どう考えても気持ち悪い。このエピソードを史実ではなく創作として成功させるには、よほど心理描写を充実させるなり必要だが、まあ難しいだろうし、他に感動するシーンを用意すれば済むことだ。 ちなみにその話をされた方、今ではかなり丸くなったようで、リアリティーよりも面白さを追及するようになってきた。彼の新作の続きに期待だ。
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