年越し煎餅

大和と邪馬台国 古代中国から見た古代日本 中国が三国志の時代、古代日本には邪馬台国という国があった。 その邪馬台国には、卑弥呼と呼ばれる女王が居た。 後に邪馬台国を始めとする地域は倭と呼ばれる。 中国が中華思想というものがあり、世界の中心は中華と言う。 この中華とは中国のことである。 中国は世界の中心であるが為に東西南北の国々を平等に扱わない。 清王朝の時代、遥々西からやって来たイギリスが貿易の条約を結ぼうとして二度ほど清王朝へ使者を送った。 当然、清王朝も中華思想に染まっていたのでイギリスの使者に対して朝貢(従順)を迫った。 それに怒ったイギリスは三度目に軍艦を送り着け、清王朝とイギリスの間でアヘン戦争が起こり、清王朝は惨敗して不平等条約を結ばされた。 中国という国は、そういう国である。 この中国。 古代日本にも『倭』や『邪馬』や『卑弥呼』など蔑視する漢字を使っている。 中国にとって日本は東に住む野蛮人である『東夷』だから仕方がないのかもしれない。 中国は天帝より徳を認められた者が王位(帝位)に着くのだから天帝の徳が認められない他国は野蛮人なのである。 しかしその中国の書物に有り得ないことが書かれている。 それは卑弥呼の後を継いだ台与だ。 台与という字は卑しい漢字ではない。 また台与の時代の中国は三国志を統一した晋王朝(265年-420年)である。 その晋王朝の歴史書『晋志』には「日本が周王朝の王子の末裔らしい」と書いてある。 中国は天帝→三皇五帝→夏→殷→周と徳によって中華の主を『譲られた(禅譲)』を正統とする。 これが中華思想の根幹である。 この正統な禅譲した子孫を東の野蛮人とするのは変だ。 特に正史に書けば事実として認めることになる。 日本が周の王子の末裔と書いてあるのは、晋王朝の『晋志』だけではない。 梁王朝(502年-557年)の『梁志』にも書かれている。 そして卑しい漢字を使われた卑弥呼。 普通の漢字を使っている台与。 この違いはなんだろう? もしかすると古代日本には邪馬台国とは別に大和と呼ばれる国があったのかもしれない。 そして邪馬台国の卑弥呼と邪馬台国を征服して邪馬台国の後を継いだ女王の台与。 卑弥呼の国とは全く違う、中国が認める正統な台与がいる国が古代日本に存在していたのかもしれない。
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台与が卑弥呼の後継者でなく別の新たな支配者で周の末裔とは興味深いですね 徐福伝説や大和王朝や蝦夷や更には竹内文書など 古代日本は多様性に富んでいますね
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コメントをありがとうございます♪ 関東では埼玉県辺りに土器や埴輪の一大産直がありましたし、巻向遺跡から発掘される土器は東国関連の土器の方が多いですから記紀に載っていない地域の発見発掘が多数あります。 しかし東大閥、京大閥が締める学会では、笑い飛ばされるだけでしょうが(汗)
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