梓野 槇

箱庭を作って誰かを拒絶しても、それを覗き込む場所は必ず何処かにあって。 箱庭は守る場所。その人の心を守る場所。 見て欲しくない。けれど、誰かに見て欲しい。 助けれない。けれど、何処か助けられてる。 変えられない。けれど、何かが変わってる。 傍にいない誰か近くに感じている。貴方は、私は、ここにいる。 目には見えなくても、手で触ることができなくても、声を直接聞けなくても。 誰かの傍には寄り添える。思いあえる。 「期待なんてされてない」だなんて分かってる。 「認められたかった」ただそれだけだった。 「傍で甘えたかった」それすら許してくれなくて。 私は苦しかった。その苦しさはどこへ捨てればいいのですか? 粗大ごみに出したって、きっと引き取ってはくれない。 可燃ごみでも、不燃ごみでも、資源ごみでもない。 苦しくて仕方ないのに、捨てることすらできない。 このままずっと、抱えて生きなければならないのなら、いつか壊れてしまう。 お互いが壊れてしまわないよう、みんなここで生きてる。 仮想というな呑もう一つの世界で私は生きてる。 いくつものの仮面をつけていても、 そのどれが私なのか分からなくなっていても、 どれも自分だと認めたくないとしても、 全ては私の一部。私は私。たしかにここにいる。 誰かの言いなりでも、貴方はここにいる。ここにいることは貴方が決めたこと。 それ以上でもそれ以下でもそれ以外でもない。 貴方は意思の全くない操り人形じゃない。貴方は生きてる人間。 手探りで構わない、最初は誰だって不安に思う。 そんな陳腐なことは言えない。 イカロスの翼とは違う自分の翼で、大空を舞えるようただ願ってるから。

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