エブリスタ
さがす
本棚
通知
メニュー
コメント
エディアカラの馬車
熊川直孝(クマガワ ナオタカ)
2015/3/25 7:12
1960年代後半から1970年代にかけての、ズバリ「高度経済成長」の時代に青春を過ごした読者なら感涙し、また当時を全く知らない読者にはかえって「新しい」感覚を与えてくれるような、いわば《実録小説的》な傑作だと思います。 通常、過ぎ去りし日々というのは想い出が補正されて、セピア色の美しさを感じることが多いのですが、今作の面白い部分は、当時をリアルに生きている登場人物ならではのほろ苦さや、あの時代特有の退廃的ムードすら味わわせてくれるのがポイントなのです。 ピンボールマシンの【ティルト】警告音や、チープなゴム駆動のシステム(だんだん摩耗してくる。笑)の触感が蘇ってくる一方、そこには「これからどうなるのか分からない」モラトリアムを終わらせて行く少年期~青年期ならではのアンニュイさも窺い知ることが出来るのです。 1970年代中頃まで、ゲームセンターに集っていたのは、はっきりと《不良》としか言いようのないお兄さん・お姉さん達でした(苦笑) 紫煙が燻る喫茶店のガラステーブルに備え付けられた、インベーダー・ゲームの赤や緑のレバーを引きながら、名古屋撃ちの達人に勝負を挑み、タンノイ・スピーカーががなり立てるヒカシューの『20世紀の終わりに』を聴くと、どこか遠い時代に思われた21世紀のまだ見ぬ世界よりも「今」の怪しい輝きの方が魅力的! そんなことを考えていた、あの頃のナウでイカしたヤロウども&メロウどもは、どこへ行ったのでしょうか? 甲虫類の序列から、やがて人間社会最初のヒエラルキーの洗礼を受ける少年たち。徐々に森林や野山は再開発によって姿を消し、公園にいつでもあったはずの放置された土管は、もう漫画の中でしか見ることが出来ない。 イーグルスの『ホテル・カリフォルニア』が奏でる哀愁は、ケネディ兄弟亡き後の希望とは真逆のアメリカ(ベトナム戦争の泥沼化~冷戦の再激化)のみならず、日本の小さないち都市に「確かに生きていた」あの頃の人々が口ずさんでいたメロディーでもあるのです。 僕たちは本当は知っているのかも知れません。 引き出しを開けたって、そこにはタイムマシンなんてありはしないことを。 マッシーさん、素晴らしい作品をありがとうございます。
いいね
・
1件
コメント
・3件
マッシー@里見拓
2015/3/25 17:25
わああ、凄いレビュー! このレビューだけ見たら、この作品が凄い傑作のように見えてしまいますね(笑) >僕たちは本当は知っているのかも知れません。 引き出しを開けたって、そこにはタイムマシンなんてありはしないことを。 特にこの最後の二行はカッコ良い。 小説本文に使わせて貰いたいくらいの名文ではありませんか。 熊川レビュー、恐るべし(^^; 公園や空き地に有った土管は、今はもうほとんど見ることが無くなりましたね。 子供たちにとって、社交場であり、戦場であり、宝島でもあった雑草の生えた空き地。 横浜からはほどんど消えてしまいました。 子供たちの社交場も、今やネットの時代になり、虫取り
いいね
・
1件
コメント
・
2件
熊川直孝(クマガワ ナオタカ)
2015/3/26 0:04
マッシーさん、ご丁寧なお返事ありがとうございます! いやはや、昭和は遠くになりにけり。で、涙がこみ上げて来ました(笑) 拙いレビューで、作品の良さや奥深さを完全にはお伝え出来なかったものの、マッシーさんに喜んでもらえて、本当に幸いです!! o(^▽^)o 僕も《自伝的小説》書いてみたことがあったので、過去の遠い記憶から物語を紡ぐことの難しさ&尊さは、よく分かります。 追伸;パートナー様・金子さんより、たくさんの「里見拓」作品を教えて頂きましたので、随時コメントさせてもらいますね! 楽しみです。今後ともよろしくお願い致します!!
いいね
コメント
・
1件
もっと見る・1件
前へ
/
1ページ
1件
次へ
熊川直孝(クマガワ ナオタカ)