見事に騙されました。 オープニング……スカイジェットバイクを操る青年と美しい教会の屋根で詩を謳う少女との出会い。あまつさえそのジェットバイクは意思を持ち、青年の良き相棒として軽口を叩きながら、青年にノリツッコミをしたりするオチャメな性格。ライトなSFファンタジーかと思えば――猟奇と官能の世界へようこそ的なお話にすっかり騙されました。ええ。 とにかく昼の世界と夜の世界の対比が凄くて。 昼の世界では、やんわりと薄絹で隠されているような表現に対して、夜は濃密で毒々しいまでに表現された猟奇と官能の世界。 特に人間紅茶のシーン。美しい布で縛られた美しい女性が湯に浸され、喘ぎとも断末魔とも取れる声を切なげに上げる中。淫靡に微笑みながら、少女が主人公の青年に紅く染まった湯を飲むように進めるシーンとか、はぁはぁなりました。 主人公の青年は暴君となる以前の無垢なネロをモチーフにしたのに対し、少女はイスカリオテのユダというのが、また、背徳感をそそります。 その少女が背徳的な詩を青年に囁く(ユダはね、教えなんかどうでも良くて、キリストに抱かれ、抱きたかったから一緒にいたのとか、囁きながら微笑まれた日にゃあんた!!)シーンとか数えたらきりがないぐらいにユダ=少女がもうとにかく魅力的で。てか、ユダが女性だったというのは、斬新で度肝抜かれましたわ。 猟奇と背徳と官能がどんな風に人を変化させるのか――。 これらが全て、地位ある人間の道楽的な実験で、『風見鶏の教会』がその隠れ蓑だった展開にも驚きました。 青年も少女も道楽の為だけに作られた悪の遺伝子配列を持つ存在。記憶を持たないネロとユダが背徳に堕ちる様を見るためだけに、生まれた存在という展開に――はっきりと語られてないぶん、泣けました。 だからこそ、相棒であり育ての親でもあったジェットバイク――ブリタニカのセリフが突き刺さる訳で。 「今、私に腕があるならば。二人を強く抱きしめ、慰められるのに。本当にごめん」 いや、泣けました泣けました。 ラスト。全てを知った青年と少女は語ります。 たとえ、悪の象徴として、世界中に蔑まれても、背徳に堕ちたとしても。 全てを愛し、許そうと。 これは、目眩く猟奇と官能のSF小説に見せかけた真実の愛の物語なんだと。そんな風に思います。 ★★★★★
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