きらさんご

前回のコメントにいたわりの言葉を下さった方々、それぞれ心に沁みました 個別へのお返事でなくすみません 本当にありがとうございました 以下、長いし重いので興味の無い方はスルーでお願いします 回顧録 先月の中頃父が亡くなりました ほぼ寝たきりの闘病生活が数年続いていたため覚悟はしていましたが、あまりに呆気なく、旅立つ時には間に合いませんでした 今年の短かった桜の盛りに車椅子を押し、花見をしたのが父と接した最期です そのせいで風邪を引き肺炎になったのが死因の一つであると聞き、やるせない思いでいっぱいになりました 抑圧の象徴として嫌っていた時もありましたが、年を重ねるにつれその感情も薄まり 徐々に命を削られていく姿を見ながら少しでも長く生きていてほしいと願っていました 我が身を省みれば、格闘技やミリタリー、車の趣味にいたるまで、父の趣味と重なるものばかりで父の影響の深さに驚いています 自分は父のようになりたかったのかもしれません 父が逝く前に気づいていれば、伝えていれば多少は喜んでくれたのでしょうか 先日家族4人で洋食屋に食事をしに行きました 店員さんに4人ですと告げ、手でも4と示していたんですが テーブルには5個のグラスと5人分のカトラトリーが運ばれてきました 単なる店員さんの間違いでしょう でも、父もハンバーグが食べたかったのだと思ってます 好物でしたし、まだ四十九日終わってないですしね
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今きら姉は改めてお父様と向かい合っている時だと思います。 いっぱいいっぱい重たく暗くなるのは想っていたからこそ。 今と自分を大切して下さいね。 お礼よりもきら姉がたくさん自分に時間を割いてくれる方が嬉しいです。 お父様のご冥福お祈り申し上げます。
例え我が身を削ることになっても、愛娘との花見はお父様にとって至福の時間だったことかと思います。 共通する趣味は受け継がれたかけがえのない遺産。大切にされることでご供養になりますよ。
ご冥福をお祈り申し上げます。 きっと、そのひとときはかけがえのない時間やったんやないでしょうか? 行けるときに行く お父さまもこれができたことが、何よりやったかと まだまだ、整理もつかないやろし、今すぐどうこうなんてのは難しいかと思います。 大切な方をなくすって、そうですやん 蛸は1月に大切な友人が天に昇ってからも、忘れられない毎日です せやから、きらさんごさんも無理せんでください 今はゆっくり、ゆっくり 思い出と心と体を大切に…
お花見、御父様も心から楽しまれていたと思います。 ハンバーグの美味しさも、一緒に喜んでいたことと思います。
祖父が亡くなったとき、お寺の住職様から、「故人を想い語らうことが、ご供養になるんですよ」という趣旨のお話を頂戴しました。 桜の下を歩くとき、ハンバーグを食べるとき。 ふと「あんなこともあったなあ」と思い出すそのときに、故人はきっと自分のところへ来てくれているのだと、私は信じています。 大切な誰かを失って、後悔しない人などいないと思います。 そしてそのことに、今無理に折り合いをつける必要もないと思います。 どうぞお体だけは大事になさって、お父様との大切な時間を、ゆっくりと過ごされてくださいね。

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