糸井 花

もう21年も経つのですね。 私も高校生の時に、被災地へのボランティアとして一度だけ訪れたことがあります。 その時で既に震災から数年経っていたわけで、ボランティアで行った私たち高校生も泊まれる様な立派な施設へ行き、正直なところ、何をしたかも覚えていません。 覚えているのは人々の、なんとも言えない表情だけ。 どんなに街が復興しようが、見た目が綺麗だろうが、あの記憶は深く刻まれたままだったのでしょう。 私たちが行く事が、逆にマイナスだったのではないかと感じた事を覚えています。 時が経てば粗雑になってしまいます。 物事は日々新しく変化するのですから、誰もがそれについていかなければなりません。 でも時々は立ち止まって、その” 一人 ”へ目を向けてはどうだろうか。 その人は、一人しか居ないのですから。
3件・1件
本当に時って不思議で、過ぎてしまうと、 あっという間に過ぎてしまった様に思ってしまいます。 21年の間に、ライフラインや、 都市の外見の復興ばかり急がれて その復興が即ち震災からの復興 とされてしまった様に思います。 その結果、 心身ともに傷ついた、孤独な人達を 元のコミュニティから引き離して コンクリートでできた高層の立派な復興住宅に、 放り込む様に住まわせてしまえば、 復興が成った。と言う様な、 人の心や生活に配慮しない 歪な復興になってしまった様に思います。 花さんがご覧になってお感じになった通りだと 私も思います。 ただ、ボランティアに来て頂いたことには
1件

/1ページ

1件