覇王樹朋幸

 少し前に、ペッパー君が登場して世間を騒がせたことがある。まるで人間のように振舞い、接客だってそつなくこなしてしまうその様は、機械に人間の仕事が奪われてしまうという未来がもうすぐそこにまで来ているのだという危機感を全人類に与えるには十分過ぎる程の驚きでもって迎えられた。しかし、そうでなくても人工知能というものは我々の知り及ばぬところで着々とその進化を続けている。  私は今年で三十五歳になる。本作内にて触れられている定理に即するなら、もう少しで新しいテクノロジーは私にとっては恐怖の対象になるのだろう。しかし、そんな時を待たずして、既に新しいテクノロジーはどこか薄気味悪いものとして私は認識し始めているが、その根底にある気持ちは「理解できない」というものだ。私自身がITのスペシャリストとして十年ほどITの世界で生きているということもあるのかもしれないが、何をどうやってプログラムすれば人間と機械が喋ることができるようになるのだと、その「作り方」や「プログラムの構成」が理解できないのだ。それはまさに、オバケや妖怪などという、人知を超えた存在を見るのと同じような感覚なのかもしれない。発達しすぎた科学は魔法と見分けがつかない、だっただろうか、そんな感じの台詞を誰かがどこかの作品で言っていたのをふと思い出した。  しかし、そんな「得体の知れない薄気味悪い存在」として一部の年齢層からは忌避されかねないエーイチの存在は、しかしそんなことは決してなく、むしろ人間よりもはるかに人間らしく振舞い人間社会の中に自然と溶け込んでしまっている。個人的にはITのエンジニアという人種には変わり者が多いと考えている。だから、より科学が発展した未来においては、逆にエーイチのような恐ろしく人間くさい機械が溢れていても決して不思議ではない。  我々人間が本作から感じるべき感情は、人間と人間以上に人間臭いやり取りをする人工知能の微笑ましさなのか、それとも機械には決して奪われてはならない領域すらも奪われてしまったという未来に対する薄気味悪さなのか。  少なくとも言えるのは、そこまで感じさせてくれる本作は名作であるということであるし、私は少なくとも微笑ましいと思った。しかし、薄気味悪さも同時に味わってしまったのも確かなのだ。
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