覇王樹朋幸

 突然のレビュー失礼します。作品に感銘を受けまして、書かずにはいられませんでした。  毎日同じサイクルを繰り返すことで生きている。人は、不安定な状態でいることにストレスを感じるため、今居る場所に何かしらの法則性を見出し、もしくは自ら法則性を組み込むことで、サイクルを作り出す。朝起きて顔を洗い歯を磨きトイレに行ってトーストを二枚食べる。トーストに塗るのはバターだ。マーガリンはもう何年も前から使っていない。背広に着替えて家を出る。キーがつながっている鉄の輪っかを人差し指にかけてクルクル二回まわした後、玄関ドアをロックする。そんな細かい一挙手一投足でさえ、それをしなければ精神的安定性を保てないのであればそれをする。朝起きてから夜寝るまで、同じサイクルを繰り返す輪っかの中で、人は生きている。そしてその輪っかの中に、その人を構成する成分というか要素のようなものが詰まっており、それらは基本的にはその人がそれまで見たり聞いたり実際に体験してきたものによって構成されている。  世界の広さとは、その輪っか自体の大きさと、その中にある何かの量と質にによって決まるのではないかと、私は考えている。人は言う。同じ事を繰り返すだけの日々をただ過ごしていただけでは、世界は広くならないよ、と。  地球の大きさは、見る人によって変化することはない。誰がどう見たって地球は一周4万kmなのだし、富士山は日本一高い山だ。しかしこの地球をどう認識するかは、人によって異なる。4万kmを長いとみるか短いとみるか、富士山は、まあ綺麗な山だけどそれを見て何を思うかは人それぞれだ。そしてどう思うかは、自分の中にある輪っかの中に何があるかで決まる。そして、見て聞いて思ったことはリアルタイムでその輪っかの中に放り込まれていき、次に見聞きするものへ馳せる思いへの材料となる。  繰り返す写真撮影と投稿の日々、そこへ、一石が投じられた。我々は目撃する。誰かの輪っかが今まさに大きくなった瞬間を。メが出た瞬間を。世界とは、日本以外の国のことを言うのではない。言葉にするとやけに安っぽくなってしまうが、それは世界観、価値観といったようなものになるのだろう。だからこそ、それらを明示せずに読者に伝えきった、にしおかさんの技量の高さが伺える作品であるといえる。

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