飛鳥 かおり

気になった点を書いておきます。 この物語、作風からすると"僕"が出来事よりも後の時点で、そのときのことを思い出しながら語っているように感じます。 そうすると最後のあたり。父が女性を助けたのは分かっていても、やっぱり授業参観に来てはほしかった、父のことを自慢したかった。で終わってしまうのは少し勿体ない気もします。 女性がお礼に持ってきたお菓子を食べられなかった気持ちは分かります。でも、そんなお父さんの優しさも含めて"僕"の自慢なのではないでしょうか。 そういう矛盾した気持ちあるいは葛藤などについても触れられていると、僕の成長や物語の広がりが感じられるかなあと思いました。 あくまで個人的な意見ですので、参考にするかは葵さんの判断でお願いします。
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コメント、ありがとうございます! 聞いてみたいと思っていたところがあったのですが、それを聞く前から指摘してくださっていて、そう!と一人で盛り上がっていました。 かおりさんの仰る通りで、この話は後から授業参観のことを思い出して語っています。 もともとはこの話の全てが『父への手紙』だったのですが、それだと『今日は特別な日だった』ではなくどうしても『その日は特別な日だった』という文になってしまうので、今日の出来事に無理やり後から変えたのですが、やはりバレてしまいますね(笑) そこで、やっぱり全体を『父への手紙』になるように書き直してみようと思います。 矛盾や葛藤についても、それができた後、考え

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