清算の形はさまざまだ。 犯した過ちは自分のすべてを、それこそ命ですらもなげうって償う。それこそが、良識あるセオリーであると声高に唱える者は多いだろう。しかし、はたして本当にそうだろうか。 そうじゃない。この世の人の数だけ、その手段は、方法はある。そして、そのどれもがその人にとって唯一のセオリーであって、どれが正解であるとかはないのだ。 父親がしでかしてしまった事件によって、死んだような日々を送る主人公・ナオ。 世間の目は、家庭の中の個人を個人として扱ってはくれない。肉親の罪はそのまま自分の罪になる。 理不尽を抱えながら、ナオは最初からずっと清算の機会をうかがっていたのではないだろうか。 そして出会ったサリーシ。 不思議な名前を持つ青年との穏やかな暮らしの中でも、絶え間なくそれは続いていく。 ここの展開はとくにうならせられる。 奇妙なネーミングを持ってくることで、読者の意識を引き付ける。おや?と思わせる。この物語は現代日本の話ではなかったのか、と。 後に、種明かしの部分で、その違和感は実にニクい演出へと結びつくことになる。うまい。 読み進めていくと、サリーシもまた罪を抱えて生きてきたことがわかる。 この物語は、二人の罪の清算の物語なのだろうか? いや、違うだろう。この物語は、二人がよろめきながら、おぼつかない足元でたどり着き見つけた、新しく歩んでいくべき道の道標の物語なのだ。わたしはそう思う。 さて、この作品の作者はこれが処女作だという。 確かにまだ拙い部分も見受けられるが、作中にただよう悲哀、繊細な言葉選び、文章紡ぎのこまやかさ。どれをとってもなかなかに秀逸だ。 先の活躍が非常に楽しみな書き手である。
1件・1件
わー。つくづく僕はなんて幸せ者なのだろうかと。エブリスタ有名作家であるチルヲさんから、こんなにも熱量あるレビューいただけるなんて‥‥本当にありがとうございます! 作品の事。 執筆にあたって、はじめに書いたメモのような設計図のようなものに主題のように大きく書いていたのが、「肉親の罪=自分の罪」とありました。思い返してみると、そういう理不尽さに心を閉ざす(殺す)子供達を描こうと思ったのだと思います。 道標の物語。うーん。嬉しい。登場人物の未来がぼんやり見えるような、そんな作品にしたかった、というのがあります。しかし、全て皆んな幸せ!という結末ではない描写と構成というのがなかなか思い付かず 笑、
1件

/1ページ

1件