この作品を理解するには、まず固定観念を捨てなければならない。 正直に言って、私が最初にこの作品を読了した時、頭に浮かんだのは「?」だった。 それは私の読解力の無さ、教養の無さもあるが、やはり邪魔をしたのは固定観念ではあるまいか。 作品に欠陥があるわけではない。文章は多少独特(私は大変好み)ではあるが、読みにくいということは無く、むしろ読みやすいと言える。 少し問題を難しくする意図は感じられるが、伏線はちゃんと張られている。 情報量が多く、全てを理解出来たわけでは無いだろう。それでも自分なりの解釈をさせていただく事とする。以下はネタバレ含むため閲覧注意されたし。 問題は「私は誰か」ということだろうか。なぜ自分は存在するのかについて、誰もが一度は考えたことがあるとは思う。それについては作品内で言及されているので、ここではコメントを控えたい。 提示された三編のパラレルラインズ。 その各々で私は誰かが明かされる。それはそれぞれ驚きの正体なわけではあるが、本題はそこではない。 時代も個体も違う男たちの物語。一見バラバラな世界が、実のところ一本につながっているのだ。ここを理解するのに固定観念が邪魔をする。 因果応報という言葉がある。過去の行いが、未来の結果をもたらすという仏教用語であるが、私たちはやはりこの考えがどこかにある。しかしそれは真理なのか。 この作品のテーマには色々な「パラレル=となり」がある。女の言葉を借りるなら、全てに対になるものがあるのだ。それは世界にも言える。私たちの住む世界とは少し違った世界。そこでは私たちの常識は通用しないのだ。 自己同一性。この作品におけるこの言葉の意味を理解した時。「私は誰か」についての答えが解るのかも知れない。私もあなたも一つのシミュレーションでしかないのだから。 ※小池さん。解釈違ってたり、ネタバレ禁止だったら削除して下さい!!
1件

この投稿に対するコメントはありません