理解なんか必要ない。感じるんだ・・・
 この方は純文学を志しておられるのだろうか?  中学を舞台に思春期の少女の成長と性を描いた長編『恋の温度とキスの蜜』を読んだ時も感じたことである。  この作品は、まず出だしの文章が素晴らしい。  「きみは今、どこへ居ますか。  きみは今、なにをしていますか。」  美しく流れるような文章。  幻想的な世界。  それがこの小説を紹介するのに一番ふさわしい言葉ではないかと思う。  大切な恋人が姿を消した。  不安に駆られながら若者が乗り込んだ列車。  目を覚ました時、窓の外には非日常的な風景が延々と続いている。そして彼の前に現われる不思議な少年・・・  この小説で展開されるストーリー。それは、ハッキリ言って答えの出せない光景であり風景である。  そして僕らは、この小説で展開される不思議な光景や風景に強いて答えを出す必要はない。  若者の彼女への愛情。やりきれない不安。彼女と過ごした日々。過ぎ去った少年時代・・・  そうした様々な思いが渦を巻き、姿を変えて電車の内外に出現したと解釈し、若者と一緒に幻想の世界に浸ればいい。  学術的にストーリーを理解しようとする必要なんかない。  幻想の世界を感じればよい。  その時、僕らは、美しい文章で綴られたこの小説に、きっと多くの感動を受け涙を流すことだろう。  素晴らしい!何度でも読みたい!それが僕の結論。
2件・1件
倉橋さま、おはようございます。 サカヤです。 感想(レビュー)及び、ペコメありがとうございます。昨日、感動のあまり、すぐにお礼を申し上げることが出来ませんでした。 やはり、「恋の温度とキスの蜜」でもそんな印象があったのですね。 純文学を好み、純文学しか書けず、そのためそちらを志していると言っても過言ではありません。「恋の温度とキスの蜜」はまさに挑戦であり、闘いでした。 外国の児童文学ばかり幼い頃読んでいたために、幻想的なものが好きになったのだと思います。 わたしは世間で言うところの完全な理系脳なのですが、「感性」というものをとても大切に何事も感じたままに過ごしております。 書く側として、読者さ

/1ページ

1件