ンバ(幽霊)

1000字では表現できぬ現代妖怪の常道
時代が変われば、人も変わる。 ならば、人ならざるモノは? その場その時の状況や時代背景に応じて、社会に適応する者が出てきたり、我々の想像を超えるような、独自の進化を遂げている個体がいたとしても、なんら不思議なことではないのかもしれない。 もしかしたら、我々のすぐ隣にも…………?? そんな風に思わせるリアリティで、ぐいぐいと作品に引き込んでくれる快作、それがこの、M.T.Pです。 最初の3ページに触れてみて、まず最初に浮かんだ感想が『読みやすい』という事だった。その秘密は一体どこにあるのか?自分なりに解明してみたところ、テーゼの対立から生まれる〝わかりやすさ〟が重要なのではないか……?という結論に達した。 主人公は佐藤というありふれた名前にしておいて、相方に興梠という聞き馴染みのないワードを持ってくる、突き詰めればこういうセンスから来る総合的な印象の発露が『読みやすい』の一言に行き着いたのではないか。 例えば佐藤先生らの作り出す日常感はその出自の非日常感の演出に一役買っているし、ノヴァのエグさを際立たせるエッセンスにもなっている。 こういう押し引きのバランス、全てに沢市氏の魔法の方程式が当てはまっているかのような盤石の安定感。AとBを対比させて両方をしっかり立たせるのが、めちゃくちゃ上手い。それがそのまま〝取っ付きやすさ〟に繋がり、とにかくサクサク読めてしまうのだ!! 妖怪とは一口に言ったら不気味、怪しさ、異形の化身といった、おどろおどろしいワードに彩られたモノに感じられるが、その取っ付きやすさが彼らにも適用されているため、食堂行ったら隣でご飯食べてるような、奇跡に近い親近感がある。 彼らも悩みがあって生活があって、人間と実はそこまで本質的に大きくかけ離れていない存在のように感じられる。 ただ、共存できる関係であることは確かだが、それも最大公約数的な話であって、彼らはやはりヒトとは隔絶した異種であるかのような含みを、ほんの僅かに持たせているような気もする。 でも読者がそう感じるだけあろうことも沢市氏はちゃんと見越していて、だからこそエピローグに『白のファントム』を持ってこられたのだと思う。生命と生命どうし、寄り添って生きているのは、妖怪だって何も変わらなかった。最初から最後まで、沢市マジックの術中である。 進化した異文化コミュニケーション、ご一読あれ。
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