春風

インベーダーゲーム
 1976年頃喫茶店に行くとテーブル型のゲーム機が設置され始めました、テニスのゲームが最初のゲームだったように記憶しています、千葉の喫茶店に行くと平安京エイリアンと言うゲームが設置されていました、テニスゲームより複雑な動きで友人が面白いゲームがあると紹介されました、何でも千葉大学生が作ったゲームと言う事でした、それから2年後にはヒップドロップで有名なサンダー杉山が一儲けしたと言うインベーダーゲームが平安京エイリアンの席を奪い始めました、このゲームは平安京ようにを改良した物だったように記憶しています!今までのゲームになかった隠し技がみんなを夢中にしました後忘れてはいけないのはゲームウォッチと言うタイプのガラケーサイズの携帯ゲームです、このゲームが普及してなかったらニンテンドーのファミコンは普及しなかったでしょう、それほど大きな役割を終えて市場からは消えて行きました、ファミコンは子供達がお年玉でも買える値段にしようと言う事で開発が始まりました、テレビに接続すると決まったのは値段設定から開発が始まったからです、コストパフォーマンスを上げる為にテレビゲームと言う姿が選択されたのです、その頃ゲームはメモリーが大変貴重でメモリーを求めてゲームはパソコンの方へも進出しました、確かMSXと言う規格がゲームパソコンとして普及して行きましたこの頃はメモリーが大変貴重でパソコンでも数千バイトしかなかった様でした、コンピュータのメモリーが京と言う単位が使われる今となっては貧乏暮らしの学生が生活費を節約するようなメモリー貧乏がゲーム業界にもゲーム業界にもあった様です ワープロもこんな少ないメモリーで漢字を作れるかが一番の壁でした、8ビットで漢字や宇宙人を表現するのは至難技だったのです、それにしてもインベーダーゲーム程日本人を虜にしたゲームはなかったと思われます、何と2千億円も稼ぎ出したと言うのです。
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ご感想ありがとうございます。 ゲームウォッチは懐かしいですね。ゲーム開発がメモリとの戦いであったのは、詳しい方にとっては深く記憶されている事でしょう。 ファミコンの登場は衝撃的でした。当然任天堂は大儲け、ボーナスが13ヵ月分出たとか聞きました。 MSXも懐かしい名前ですね。豊富な知識をお持ちで、勉強になります。

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