直田 麻矢子

ただ、哀れみを抱くだけではなくて……
この作品は宇南さんしか書けない。至極当たり前のことなのですが、長い年月を経てふと立ち止まる、そのときが元夫の死――この視点というのはメモワールのようになりかねないので、そこを創作されたのが宇南さんの筆力なのでしょう。すごいなと感動しました。 わかり合うということは同一ではないのでできないけれども、人間は歩み寄ったり、分かち合ったり、思いやったり…そういったごく普通で、一見すると訓戒のようにも思えますが、実際にこういったことが大事で、わたしはこの作品を拝読して、真弓さんもそうですが、幸江さんの懐の深さに感慨を覚えました。相手を慮り、亡き兄の思いも汲んで…真弓さんへの連絡。緊張されたと想像します。幸江さんの優しさが真弓さんへ伝わって、心穏やかにそのときを過ごすことができたのでは…と。しかしながら手紙というのは時に、後出しじゃんけんになる心地がさまよいます。 ただ、最期にこうして寄り添えたのは、一種の贖罪のようで、苦しみやかなしみを共有することで、自己を認め、また当時の自分を許す…。それは真弓さんにゆとりがあるから。 隆さんからの手紙を読んだ真弓さんの心には、後悔が残るかもしれない。けれども、隆さんの思いを深く理解できるからこそ、それはきっと未来へつなぐことができる気がします。すでにいない人に対して思いをはせるというのは、ただ哀れみをいだくだけではなく、真弓さんのなかにある、隆さんの笑顔そのものだったのでしょう。切ないお話ではありましたが、読了後にはどこかすがすがしさを覚えました。 素敵な作品をありがとうございました。
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直田様。ほんとうに、もったいないレビューをいただきまして、まことに、ありがとうございます。 人は誰でも何かしらの自縄自縛に囚われているように思います。自分では気付けない故に自縄自縛に陥っている。その結果孤独を招いている。まずはそうした自分自身への和解から、次が始まるのではないかと思いました。 さすが直田様。すばらしいレビューをありがとうございました。勉強になりました。今後ともよろしくお願い致します。 宇南拝
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