青史 炎

みけさん 『雨の日の記憶』読みました。 以下の文は激しく私の勝手で、的外れなら消去して下さい。 『騙される方が悪い』 どんな理由があれこれは間違っている。 『騙す方が悪い』のです。 声を大にして言う人がいないのなら、死ぬまで私は声を大にして言います。 もしそう思うのなら、あなたにそう思わせるのなら、あなたを取りまく世界が間違っています。これは「人の世界」を構築する根幹だと思うからです。 でも「世界を変える」なんて大それた事はおいそれと言葉にも出来ません。 『声のでかい人』の話は因果応報になると思います。良きにつけ悪しきにつけ。『クレームを挙げない人』も因果応報。じゃぁ、どうする? 世界は残酷だ。じゃぁ、どうする? 数には負ける。じゃぁ、どうする? 何かにつけて、問題意識を持たなくなった時点で、世界に呑まれる。そういう私も、周りも、呑まれている。だって、私が住む世界は答えの出ていない時間軸『今現在』だから。そのポイントに生き続けているから。答えは、すべからく『未来』にあるから。 これまでの過去で星になった人達の答えの上に私達は生かされていて、今現在を生きる私達の答えに、未来の人達は生きるが道理だから。 雨に濡れ続けると、体温が奪われて死んでしまいます。“人”はね。だから傘をさします。私の傘下の人も濡れないようにしてあげたい。この半径数十センチが私の生きる意味です。ピンを外してないのなら。 あ、あと、そばぼうろは手渡ししたい方です。それと一緒に食べたい方です。😊 はい。 どこか青い空の下で。 ごめんなさい。みけさん。 書かずにはいられなかったです。
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