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応募しようとしていた公募の要項がなかなか公表されず、先日締切1ヶ月半前になって突如発表された。推敲の時間も考えるととても足りない。 公募に出すようになって、こういった、書き手を振り回すような事象が目につくようになった。そもそも、現役作家が審査員を、しかも複数の賞の審査員をしている点で瑕疵がある。作家は同業の、いわば競合する人間であり、公平に審査できるか甚だ疑問である。実際、新人賞の講評を読むと、自分の作品でもできていないような点をあげつらって辛辣に語っている例が多く、呆れるより笑ってしまう。それならばまだ、本好きの芸能人に審査させる方がましだ。 公募の審査員は、編集者か文芸評論家で行うべきだと思う。 賞を獲ってデビューした作家たちも、作品を重ねるごとに大衆におもねるような凡庸な内容になっていく気がする。 またこのご時世、web小説投稿サイトに発表した作品は応募不可 、というのも時代遅れだと思う。各賞には作風の相性があるから、たまたまミスマッチだっただけで、どこに傑作が埋もれているかわからないというのに。もったいない。 また、今はタブーが多すぎる。差別、暴力、死、悲劇、性、非倫理、理不尽、死。人間とはほとんどがそれらの要素でできており、そこを書かなければ浅いものしかできない。現代の商業作家の小説より、タブーの少ない近代の作家の作品のほうが断然面白いのが、何よりの証拠だ。 それでも書きたいものがあるうちは、公募に出すために作品を書くのではなく、いいものが書けたら出してみる、という方法でいくしかないかなと思う今日このごろ。
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