鵜木曽 銘

感想の続きです
さて、気になった点は、この問いに対する解答ですが、これが少々わかりやすすぎたのではないか、という点です。別に強い根拠があるわけでは無いのですが、いつも帰りに主人公が乗っているバスにある男子生徒が乗っていて、主人公がバスを遅らせたらその男子生徒は別の停留所から乗り込んできた、というエピソードが事前に語られていると、「おや、この男子生徒は主人公狙いで乗っているのでは?」と、何となく思ってしまうわけです。そうなると、それ以降の推理を聞いても「ああ、やっぱりそうだったか」という反応になってしまい、驚きが少なくなってしまうような気がしました。また、推理の段階でも少々難点があるように思えます。一つ目は、御影さんにどれだけの情報が与えられているかというのが不鮮明な点です。御影さんに対しては「私の話も含めて」話したと言っていますが、「私(アタシ?)」のどの話をどこまで話したのだろうか、というのが見えていないのはすこし引っかかります。というのも、主人公は一区画だけ乗る男子生徒を見た記憶はないわけですから、いつも一緒のバスに乗っている男子生徒を思い浮かべるとは考えにくいのです。そうなると、御影さんが立てられる仮説は「男子生徒は誰かを見るためにバスを乗っては降り、乗っては降りていた」という程度にとどまるはずです――なぜなら、主人公と同じように、文化祭の準備のためにバスを遅らせる必要のある人は大勢いるはずですから。事前の、進路指導で一時間くらい居残りさせられた、という情報を得てやっと御影さんは男子生徒の狙いが主人公なのではないか、という仮説を立てられるはずなのです。そして重要なのは、この段階でもまだ仮説にすぎないだろう、という事です。というのも、主人公がただ、いつも一区間だけ乗っている男子生徒を見逃していた、という説を排除できませんから。それに、主人公と同じようなサイクルでバスに乗る同じ学校の生徒がいるという可能性は十分に考えられる状況なので、目的が主人公だった、とするのに十分な根拠はまだ薄いような気がします。
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