自分の当たり前は、他人にとって当たり前ではないという事。
【物語は】 主人公は大学の授業を終え小雨の中、バイト先であり居候先となっているカフェに、徒歩で向かっていた。バスでなら5分の道のりを歩いたせいか、目的地につくころには濡れてしまっていたようである。カフェについた主人公は、店主に挨拶をし、バイトの為に着替えをするのだった。 【世界観・舞台・言葉の説明】 恐らく舞台は現代であり、セクシャルマイノリティがテーマの物語でもある。近代では、”多様性があるのは当然であり、自認の男女の性が体の性別と合っていることが当たり前ではない”ということが、少しづつではあるが認知されてきているように感じる。 **補足【各言葉の意味】(web調べ) タグにある「セクシャルマイノリティ」とは、 同性愛者、両性愛者、トランスジェンダー、性同一性障害など。 性のあり方が少数派であることを意味している。 性的少数者で、ジェンダーマイノリティやLGBTなどとも言われる。 最近ではLGBTに変わり、LGBTQIAと言われ、さらにLGBTQIAPKの場合のそれぞれの意味。 Q:自分の性別や性的指向を決められない、迷っている状態の人。 A:無性愛者。同性だけでなく異性に対して恋愛感情を抱かない、性的指向が誰にも向いていない。 P:パンセクシュアル。男女の性別にとらわれずすべての性を愛する「無性愛」を意味する。 K:キンキー。他とは違った特殊な性的嗜好を持つとされている。 I:インターセクシャル。 体の状態を指すものであり、現在では”DSDs:体の性のさまざまな発達” 「AIS」や「CAH」,「尿道下裂」・「ターナー症候群」など様々な体の状態があり,「私はAISを持っている」「尿道下裂で生まれた」など,個別の体の状態名で表すことがほとんど。 セクシャルマイノリティは一括りにされることが多いが、それぞれは別のものであり、悩んでいる人もいればそうでない人もいる。カミングアウトする人もいれば、しない人もいる。 それは社会の中で差別を受けることが当たり前だという意識によるものだったり、身体と心が合致していて当たり前と偏見を持っている人が大部分な為だと思われる。恋愛については相手がいることなので自分一人ではどうすることもできないが、生き方については誰もが自分らしく生きられる世の中であるべきだと思う。 コメント欄へ続く
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【物語の魅力】 とても難しくデリケートなモチーフを扱いながらも、とっつき易いストーリーである。二人の会話の中で主人公の母の生き方も明かされていく。 ここで感じるのは、セクシャルマイノリティの難しさ。自認と性別が違う場合、身体に違和感がなくても一人称に違和感を覚えることがある。どんなに多様性が当たり前の世の中でも、見た目で判断されるということ。それは、なかなか変わらないと思われる。この物語では、いろんなマイノリティの人たちが自分の中に問題を抱えているように思う。 症状にしても心にしてもそれぞれ違う。自分の持っている感覚でマイノリティの人々に接することが、傷つけることでもあること。 例えば身
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【物語の見どころ】 もしあなたの身体と心が噛み合っていたならば、世の中には噛み合わない人たちがたくさんいて、それぞれに自分自身と向き合いながら、”自分の人生を自分らしく生きようとしている”ことに気づいて欲しい。 自分の感覚は当たり前ではないし、押し付けるものであってはならない。偏見は、一番人を傷つけるという事だ。 例を挙げるならば、同性愛者の人に”異性を愛することが当たり前”という偏見を向けることは、異性愛者のあなたが明日からは”同性を好きになりなさいと言われる”ことと同様である。 そして心は女性、身体は男性で苦しむ人に”男なら男らしく”という言葉を向けることは、自認も身体も男性の人間に”
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