オチがわかっているのに何度も読みたくなる。これこそ秀逸。
 好きか嫌いかと問われるまでもなく、大好きな作品だった。  死んだ愛する人にそっくりな人形((ひとがた)……人のようなものあるいはクローン、アンドロイド)は、死んだ人の代わりになり得るのか。このテーマ……死んだ人にそっくりであればなり得ないというのを拙作「覚えてる? という言葉」で書いた。  しかし、狂った男の元では、見た目だけ同じであれば、その人の記憶どころか人としての知識もない「人のようなものあるいはクローン」でも、死んだ人の代わりに育てる事ができるという、まさしく狂気をこの小説に見た。  されどそれを成し得たことを称賛する心が私にはある。 「今では、この夫でもいいかなと思えるようになりました」と口にしながら、深層心理では、今のジャックを理想と思い、本物のジャックを嫌悪の対象として恨んでいる。そこに、言外の狂気がある。  絵から出現した2人。ジルは赤ん坊のようにゼロからの出発であったが、ジャックは、なぜか記憶を持っている。画家の念が記憶として入ったとは考えられない。  ジャックは、「絵の中のジャック」という自我を持ったまま、本物から記憶(ジャックとしての記憶だけでなく、言語や生活習慣などすべて)を入れ替わるときに吸い取ったのだ(自分を絵の中のジャックと認識したのは、この記憶からの判断)。  コピーをとれば原本と複写ができるように、記憶を吸い取られた年老いていく本物のジャックにもまた、記憶があり、人間の感情があると考えるのが普通であろう。  広間の壁に飾られているのが何より狂気。 2人にとっては見たくもないものであり、しまっておくのがふつう。奥から取り出した食べ物の絵のように。それをわざわざ大広間に。  これは、幸せを見せつけるために大広間に飾ったものである。今のジャックとジルが永遠の命を手に入れた今、永遠に絵に入ったまま、幸せを見せつけられる本物のジャック。  無意識に、自分たちが作業するときに目に入ると不快だからと、イーゼルやキャンバスから遠ざけるようにして飾られている。  ただただ、絵の中で歳をとっていき、偽のジャックとジルの幸せを永遠に見せつけられるという拷問は、自分の幸せを得るためにジルの代わりとして作った生命体を虐待したことを償うにはあまりにも残酷な仕打ちだと思うのは、ジャックの中に自分のエゴを見る私の甘えなのかもしれない。
2件・2件
す、すげぇぇぇ!!こんなに素晴らしい評論を頂いたのは生まれてはじめてです!!自分も映画の批評?感想?を書いて、(今は入れなくなりましたが)別のサイトに投稿、連載してたことがありましたが、こんなにも分析された評論を頂いたのは、しつこいようですが、生まれてはじめてです!! ありがとう、本当にありがとうございます! 実はあの作品はアイデアを除けば、そこまで考えて書いた訳じゃないんですよ、本当に直感だけで書いた作品でして… でも、もしかしたら、自分の直感はそこまで深層心理から汲み取り、勝手に咀嚼、作品として自分の手に宿らせて世に出したのかもしれません。 ここまで奥深く分析し、評論を頂き、重ね重ね本
1件1件
 いえ、もしそうだとしたら、これは、直感というか深層心理で組み立てられたものだと思います。  なぜかわからないけど、こういう設定がいいなとか、ふつう、こうだろうとか。  でもそれは、普通でもなんでもなく、自分でも理屈はわからないけど、無意識に組み立てられた物語。読書経験であったり、創作活動の結果であったり。  キャンバスと食器が出てきたときには、旅人が食材なのか? 食べられてしまうのか? とか、写実的な絵は現実世界を取り込んだものではないのか? この旅人もジャックが持ってきたキャンバスに吸い込まれるのではないか? などと、考えさせられるのも秀逸です。ぐいぐい引き込まれました。  あとがきに「こ
1件

/1ページ

1件