妖しくも愛おしい幻想回廊〜文学的考察と意見
今回の作品『最終章〜恋人たちとメフィストフェレス』を例にとって、文学的な考察を試みてみましょう。 この作品を、 オー・ヘンリーの『賢者の贈り物』と比較することで、非常にわかりやすく文学的な考察を進めることができます。 『賢者の贈り物』が正の贈り物なら、この作品はまさに負の贈り物。 すなわち、オー・ヘンリーの名作と対峙する 『愚者の贈り物』と言っても過言ではない。 愛する二人が互いに受け取ったモノが『愛』や『思いやり』であることは、どちらの作品も同じです。 だが、そのために犠牲にしたモノが違う。 『賢者の贈り物』で二人が犠牲にしたモノは、お金で買えるモノ、人間が作り出したモノ。 『愚者の贈り物』で二人が犠牲にしたモノ、それは神が与えて下さったモノ、命だった。 すなわち、神に背き悪魔メフィストフェレスに魂を売り渡す話。 僕は、特定の宗教を信仰する者ではないが。 どんな危機的状況にあれ、どんなに愛する人のためであれ、自らの意思で魂(命)を捨ててはならないと思う。 自ら作り出すことのできない自然(神)への畏怖と尊厳を忘れた時、メフィストフェレスは魂を侵食し始める。 だが! 命が投影される薄っぺらなスクリーン一枚を隔てて、僕はまだ『賢者』側からしか小説を書くことができずにいる。 僕は日々、生きたくても生きることが難しくなりつつある人々と共にあり、自分自身が1㎜でも神側に近づきメフィストフェレスから離れたいという切実な現実的神経から、魂を解き放つ勇気を持っていない。 現実生活という泥沼に、両足を膝まで沈めて、アーティストとしての翼を広げられず、自由な空へ羽ばたけずにいるのだ。 たやす先生は、その深淵なる魂の中に『賢者』側から『愚者』側へと自由自在に行き来できる幻想回廊を持っておられる。 Le Complice(共犯者) すなわち神側とも悪魔側とも自在に手を繋ぐことのできる彼の天衣無縫な魂は、時に饒舌なメフィストフェレスを演じて我々の知的好奇心を満足させてくれる。 ありふれた陳腐な物語では満足できない知的好奇心旺盛な大人たちの心に、確かな英知と繊細な筆致でザクザク斬り込んでくる希少な作家たやすもとひさ! 学び続ける謙虚さと学び得た知識と知識を切磋琢磨して妖しく華麗に練り上げる文学の錬金術師たやすもとひさ! 僕の大好きな親友、たやすもとひさ!
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レビューありがとうございます。 畏れ多いです。 O.ヘンリーはあんなに皮肉屋なのに、同じように皮肉な結末でも「賢者の贈り物」は優しさにあふれた名作です。その名作と比較してもらえるだけで感激ですし、恐縮です。 今年になって死をテーマにしたものばかり書いています。 これはファウストとロメオとジュリエットをモチーフにした作品ですが、テーマは「死と乙女」と「メメント・モリ」です。芸術の永遠のテーマですね。 我々にとって死は身近で、現実的です。 死を畏れるというより、何も残さずに消えてしまうことが何より恐ろしい。何のために生まれたのか、今まで懸命に生きてきたのか? 青年はたったひとつでも小説を残すこ
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