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新年3日に琉球新報に掲載された記事をTwitterで知りました。 『 津波犠牲女児の遺体か、 父「 間違いない 」 ガマヤフー具志堅さんが          福島・大熊町で捜索 』 原発から約3キロ、 立入が制限されている区域。 2011年3月11日から10年以上。 恐ろしいような過酷な月日を娘の捜索に費やした、 考える前にもう下瞼の痙攣が止まりません。 どんなに、と心がその錘で詰まってしまうような月日。 この記事を読んだ翌朝、 その写真集をページを広げました。 会えて良かった。 そんな言葉しか出てこない、あまりにも哀しくて辛くて、張り裂けそうな日々をどうやって超えてこられてのかと。 改めて、 最初に探していられる事実を知り、写真集を購入し、 手に取り、 そのページをめくった日を思い出します。 続編を書く、あのままではないんだまだまだ続いていたんだと、知った日。 亡くなった方、遺された方、被災を負い生きることを諦めず確かで尊い営みを続ける方達に 深く心を寄せたいと思います。 私事ながら、 エブリスタの場所を借りて、 東日本大震災後8年目に覚えておかなければと記憶として起こした話。 " 眺めのない部屋 " そして、その翌年、このお父様の家族の写真集を見た後、 10年を迎える前に再度大きな地震をきっかけに続編として、 " 眺めのない部屋………再び " を書きました。 そして今年、 女の子の大腿骨遺骨の発見。 このような大きな哀しみに相対した方々は、 これで終わりではないと思います。 記録、記憶、全てのものがこの先もずっとずっと、 人々の私たちの心の中でその形を留めていく。 そのことを又ここで祈念したいと思います。 合掌 同じ内容と お父様の写真集の表紙の画像を " 何年振りか読書感想文 と言うよりも 読後感として書いておきたくて“ にも載せました。 写真集を手に取られることがありましたら嬉しいです。 honolulu
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