「夏の夜」 珍しく涼しい、気持ちのいい夜だった。 そう言ったら、怪訝な顔をされた。 「昨日は熱帯夜だったろうに」 周りに聞くと、暑かったというのはその男だけ。 涼しかった。 扇風機だけで寝た。 風もあったし。 だよなあ。 そんな周りの反応に、男は一人で首を傾げた。 「もしかして、その暑さってのは。 体の一部分から、じわじわと暖かくなってくる感じだったんじゃないか?」 ある一人が言った。 「そりゃあ、熱中蚊かもしれないな」 無精髭の男だった。 髪の毛は短く切りそろえられているが、その髪も床屋ではなく、自分で鏡を見ながら切っているのだという。 休憩時間に話していた。 「熱中蚊?そりゃあ、なんだい?」 「夏に出る蚊の一種でな。見た目は普通の蚊と同じ。 けれど奴らは、血を吸うんじゃなくて、逆に送り込んでくるんだ」 「な、なんだよ、未知のウィルスとかじゃないだろうな」 「ハハハ、そうだったら怖いがな。奴らが持ってくるのは、もっと身近でもっと安全なものだよ。 奴らは、熱を運んでくるんだ」 「ねつ?」 「そう、周囲から集めた熱を他の生き物の体に送り込んでくる。 それが熱中蚊さ。だから、奴らに刺されると、刺された部分から体が熱くなっていく。 あんたは奴らに好かれやすいんだろうな」 「はあ、そうなのか」 「なんだ、信じたのか?」 言われた男はキョトンとして、それから諦めたように息を吐いた。 「お前、小説家になれるよ。それか詐欺師」

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