鷹取 はるな

黄昏時の寓話
本作品を拝読するにあたり、作者様からは前もって「いじめ・暴力・グロ描写が多分にあるので、苦手でしたら申し訳ありません…。」という、大変丁寧なお申し出を受けました。 細やかなお心遣いに感謝しつつも、正直、私の腰は相当引けていました。 続く「一応ラストは多少の救いを意識しました。」とのお言葉を、文字通り唯一の『救い』としました。 読み始めて早々に、あらすじに記されていた「現代物でありつつ浮世離れしたダークファンタジーの空気も意識しました。」という矛盾した一文に、大いにうなずいてしまいました。 語り口が独特、――とても特徴的なのです。 例えるのならば、「ぼやかしたり薄めたりして、子供用にマイルドにしていない昔話の様な」でしょうか。 『童話』と呼ぶには、あまりにもありのまま過ぎます。 実に淡々としていて、どこまで行っても平らかです。 常に、ある一定の距離間が保たれ続けています。 親し気に寄り添ってはこないが、けして読む側を置き去りにはしない。 情景の描写は細かいのに、少しも湿っていなくて乾いている。 いわゆる『濡れ場』と称される場面までも、例外ではなかったです。 作者様の抑制が効いた筆力が、作品中の至るところで閃いていました。 その素晴らしい語り口と、これ以上ないくらいにピタリと合致した本作品の内容は是非とも実際に読んで頂きたいです。 ジャスト(ギリギリ)8000文字に収めた作者様選りすぐりの描写の数々を堪能して頂きたいです。 ――これは想像以上に相当大変です(経験あり) そして私と同じ様に、主人公の「さ迷える多重人格者、時緒泰晃の憂うつ」のほんのひと欠片にそっと触れて頂きたい。 彼が迎えたラストの「ある種の昇華」を見届けて、彼のために祈って頂きたい。 私は常々、『癒し』とはただ一方的に施されて為されるのではなく、癒されることを受け入れて初めて叶うものだと思っています。 時緒君が真に「癒される」時が日が訪れることを、切に望んで止みません。
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まずは「正直に腰が引けて」いるにも関わらず、丁寧なご感想をくださり有難うございます。 はるなさんの豊かな読み手の力ならば大丈夫だろうと、ピンポンダッシュみたいに押しつけた結果、予想通り温かく受け止めて下さり、重ねて感謝の念が堪えません。 何でこういう語り口にしたのかと振り返ったのですが、結果的に「小さい子」も出てくるので、それもありだったかなと思いました。(小さい子は赤児〜幼児のおさない無垢な部分が混ざり合った不安定な存在、というイメージです) そもそも寓話と童話の違いって何だろうと改めて調べたら、とりあえず童話ではないですね笑 子供向けではないので。 私は全く人に何かを諭せる人間ではないの
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大変丁寧なお返事をありがとうございます。 私が寓話的だと思ったのは「家柄も良く、頭脳明晰にして容姿端麗な時緒君が実は……」であり、彼に救いの手を差し伸べるのが、よりにもよって(失礼)アノ彼であったところです。 作者たるぎん恋様がまるっきり意識していなくても、これは大変皮肉な巡り合わせだと、私は感じました。 字数制限は枷でもあり、ステップアップの踏み台でもありますから。 私は懲りたので、もういいですが(笑) ラストが安易に、「可哀想だよねぇ」に流されて堕さなかった点に、ぎん恋様のキャラクターたちへの深い愛情を感じることが出来ました。 そんな簡単にほぐれるのならば、これほど拗れるわけがありま
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