彼岸花ではない全ての花はこの世の花
大佐戸達也さんの作品は人物の描き方が本当に見事だと思います。様々な視点で描かれる群像劇は登場人物への洞察が深く慈愛に満ちています。しかし登場するキャラクターたちは、煌びやかな経歴や類まれなる能力をもつわけではなく、普通に私たちの周りに多数存在するような人間たちです。その彼らが喜びや悲しみの絵を飾らずに見せてくれます。だから私はそこに親近感を感じ、彼らの悲哀や喜びに自分の過去の思い出をはめ込んでいく感覚になります。 今回の「此岸」も安座富町中央病院を巡る物語で、医事課入院受付の関朋枝と患者の滝本敦司のふたりを軸にしています。それぞれの視点で全く別のストーリーを追いながら、ふたりに共通するものを探り理解していく。ふたりとも過去に縛られ残された愛情や深い悲しみの「箱」の開け方、それが分からないで悩み生きているようにも見えますが、どのような結末になるのかはすぐには分からず興味を引かれます。 ふたりを結びつけるキーワードが「此岸」の花である、ということが分かるのは後の方です。そして「砕けた心」という同じような想い。こうした様々なモチーフで心情を丁寧に描いていくところが本当に見事で惹きつけられます。 関の父親が自殺をした原因や親友の放った言葉の意味が心に引っ掛かったまま私たちはそれを窺い知ることができない。また滝本の方も別れた絢の言葉に縛られていて、愛を求めた人達との彼の心の距離感に私たちは救いの手を差し伸べることはできない。答えを模索するようにふたりは悩んでいく。その「答え」は物語では最後まで語られません。 現実の人生において、他者の心やそれを自分がどう受け入れるかに「正解」はないのでしょう。だから苦しむのだとも言えるし、逆に自分でその「答え」を見つけ出して納得することができる、それが前向きに生きていくことなのだと、私はこの作品を読んで強く感じました。 大佐戸さんの作品は読んだ後にいつも、晴れ渡った秋空のイメージが湧きます。夏ではなく秋の青空。清々しく涼やかな風に懐かしい匂いを感じながら、厳しい冬へ傾斜した道を力強く歩んでいくイメージ。そこにあるのは足を踏みしめて今を生きていく姿です。途中に出てくる石田のセリフ「彼岸花ではない全ての花はこの世の花なんだ」が鮮烈でした。ラストシーン、寂しさを抱えた主人公が最後の二段をひらりと跳んだ絵を、私は「希望」ととらえたいと思います。
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シバケンタップさん…(T_T)
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