lucifero

『wonder world』を書き終え、少し気が抜けていたら急激に老け始めた気が(笑) 歳をとらないと不思議がられていたが、実感しないと分からないものだな。 気が抜けると命の結び付き、まぁ生命力ってやつが弱くなっていく。 『wonder world』で世界を変えるつもりだったんだけど、そこまで昇華出来ずに終わってしまった。 一人ひとりの気付きの連鎖。 禅の世界ではね。 弟子が師に茶を出しても、 ある時は縁側に捨てられ、 ある時は無視され、 ある時は茶をかけられる。 そこに弟子の気付きが試されるわけだが、 その時、その場に弟子が居るかってことが重要になる。 師が何をしたかは大した問題ではない。 勿論、肉体的にはその場に居る。 その場に意識が在るかどうか。 多くの弟子は師に認められようとあれやこれや考えて居る。 数人の弟子は最悪を想定して師が茶をかける瞬間を捉えようとして居る。 結局どうしたってダメなのだと何もしないで居る。 みんな何処かに居る。 常に段取りして居る。 社会人なら褒められそうだけどね。 褒められる為にやって居る。 その場ではなく頭の中に居るのだ。 発心。 意識の基点が何処にあるか。 これは普通の人間関係の問題と同じだ。 褒められよう、認められようと行動を選択してしまっている人は多いと思う。 認められる必要なんてないよ。 否定されないようにやってるだけだよって人も多い。 あれこれ考えて行動する。 大切なことのように聞こえる。 だが、その考えが自分を正当化する為の理由付けに過ぎないことも多い。 人間関係においても、 禅においても、 何が大切なのか。 それは、 その場、 その時を、 共有しているか。 ある時は師と。 ある時は友と。 大舞台に独り立っている自分を想像してみて欲しい。 大勢の視線が自分に集まっている。 独り自分の部屋に居るときも同じだということに気付けるだろうか。 貴方の目の前にいる相手だけではない。 貴方を取り巻く全ての存在が、 貴方を観ている。 監視しているわけではない。 共に生きる貴方を観ている。 人間の目ばかり気にしているようだが、 残念ながら全存在に意識がある。 共に生きようとするとき、 意識は繋がって働き始める。 貴方がコソコソしているなら、 仲間がいても孤独を感じるだろうね。 さぁ、 全ての存在と共に、 次は何をしよう。
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