資山 将花

先月、私はたくさんのものを失って一人になりました。 自分の時間が多くなった私は、これから先、自分の思想に基づいて、たとえ日の目を浴びずとも一生を文学に捧げてみてもいいのかもしれない、と思い至り行動をし始めました。誰にも迷惑をかけないよう、一人で社会から後ろ指を刺されながら生きて行く覚悟を決めました。 そしてあるルールとして、生きて行く過程で私からの行動は、自分のための行動とし、もしそれでも、何かしらの巡り合わせが外界から強引に来るようであれば少し視線を向けてみるようにすると、定めました。まあ、当分はそんなこと起こり得ないだろう、と腹を括りながら。毎日、同じ行動を繰り返す日々でしかないので。 しかしながら、わずか一月も経たず私は外界に視線を向けざるを得ない状況になりました。 なんだこれは!? となっているのが今の現状です。 これまでの人生の中で、超常的な何かとしか言い現わせない現象や巡り合わせが、二度ありました。 今回もそれなのか、と思っています。つまりこれは、決めた生き方を否定しろ、とそう言われているような気がしています。 まあ、何が言いたいのかと言いますと。 今年一年、人生においての劇的な変化があまりにも多かったなと思っていた矢先に、まさかの最後にも強烈なものが残されていて、人生とは? と口をぽかーんと開ける以外にねぇじゃねぇか、という愚痴です。
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お気持ち、少しわかるような気がします。 わたしも思うところがあり、一昨年、退職しました。 心身共に限界だったのです。 それから一年間、自分の人生を振り返り、ろくでもない結論に達してしまいました。 その後でしょうか、完成間近だった作品を手直しして、あちこちの投稿サイトに公開しました、が、なかなかうまくいかないものです。 しばらくは、いまのような生活を続けるでしょう。 淡々と、肩の力を抜いて、やれることだけをやっていこうかと思っています。 それでは、失礼致します。
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コメントありがとうございます。 生きているとたくさんのことがあって、それも往々にして自分に都合の悪いことだったりします。 しかしながら、結局は考え方一つだよな、なんてこともあったりして、少し真面目過ぎるからこそ辛くなってしまうのだろうか、なんてことも思ったりもします。 私も、思いつめ過ぎた時期がありました。心が崩壊寸前まで行ってしまうと、どうやら身体もそれについていってしまうようです。私の場合は、なんとか踏み止まることが出来ていますが……。 しんどいな、と思ったらぼうっと呆けてみるぐらいが、丁度良いのかもしれませんね。
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