昔、昭和のころは原体験と疑似体験の違いを強調して、メディア越しの体験を軽んずる風潮があったのだけれど、一方で、例えば観光旅行などは事前の情報を追体験するだけのことになりがちなのもまた、昔から言われていました。 自己の全体性をもって目の前の事象に向き合い体験するというのは、現場に行けばできるというものではなく、結局心のありようの問題。インプットされる感覚情報の多様さは、少なくとも決定的な要因ではないように思います。 何の話かというと、コレ↓ https://www.youtube.com/watch?v=pAE7pK1Rej0 ヴァーチャルの可能性ということを旗印のように言い続けてきた彼女たちの、ゲーム体験というメタファーでもって実人生を語るという試み。 ある種の逆転を通過したな、という気がします。 Are you game? って何なの、とは思いましたが
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あたりまえなんだけれど、森と言う概念がない人が森を見て体験することは、森を見ることとは違う何かなわけです。魚の知識が何もない人は、サバやマグロを見てもサバやマグロのことについて何も知りえないわけです。すべての体験には認知の枠となる知識が必要で、それが文化とか教養と呼ばれるものなのです。この枠組みを取り払うことは、特殊な訓練の積み重ねがなければできません(禅でいうところの見性成仏)。 原体験というのは何なんでしょう(←迷子になってる)
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