年越し煎餅

黒田氏の謎(1) 『寛政重修諸家譜』『黒田家譜』『広峰神社文書』『御番帳』『称名寺文書』『建内記』『信長公記』『親長卿記』『太閤記』『荘厳寺本黒田家略系図』『播磨古事』『穂先長者伝説』『赤松家略系図』『当代記』『夢幻物語』『ルイスフロイス日本史』『太閤素生記』『芥田文書』 など以上の資料も参考。 黒田如水の黒田氏には大きく分けて二つの出生地がある。 近江国伊香郡黒田村と播磨国多可郡黒田村である。 前者は佐々木源氏説、後者は赤松諸家説、各々の裏付けとなっている。 黒田家系図を見ると家祖の黒田宗満(宗清)ー宗信ー高教ー高宗ー重宗ー重隆ー職隆ー孝高(如水)と書いてあって、一般に知られた家系図だ。 しかし他の資料を見た場合、面白いことが分かる。 佐々木源氏として登場する黒田氏は黒田高光、黒田信秀、黒田貞長のみ。 また赤松諸家として登場する黒田氏は黒田重光、黒田重勝、黒田重康、黒田重貞、黒田重昭、黒田重範のみ。 これは驚くことに一切『黒田家譜』に載る名前が他の資料には載っていない。 因みに『黒田家譜』は江戸時代に書かれた物である。 黒田氏の謎(2) 黒田高政(黒田如水の曾祖父)へつづく。
2件・10件
黒田氏の謎(2) 黒田氏の古史古伝 永正8年(1511年) 船岡山で足利義種・細川高国と細川澄元・三好之長が戦った。(船岡山の合戦) 黒田高政はこの戦いで足利義種・細川高国陣営として参戦したが、軍令違反を犯して後に近江国伊香郡黒田村を幼い黒田重隆を伴って出奔する。 黒田高政は流浪して黒田一族の住む備前国邑久郡福岡郷へとたどり着いた。 この福岡郷は長船とも言い名刀の産地だ。 黒田高政はこの福岡郷で『玲珠膏』を作り刀鍛冶に販売して生活をしたが大永3年(1523年)に亡くなった。 黒田高政の跡を継いだ黒田重隆も福岡郷で生活をしていたが、福岡郷の支配しようとする浦上村宗に追われて播磨国姫路へと逃
2件10件
黒田氏の謎(3) 黒田氏古史古伝の検証(1) 黒田氏が佐々木源氏説を唱える『黒田家譜』での家系は以下の通りである。 京極満信ー黒田宗満(宗清)ー宗信ー高教ー高宗ー高政ー重隆ー小寺職隆ー黒田孝高(如水) 黒田氏が赤松諸家説を唱える『荘厳寺本黒田家略系図』での家系図は以下通りだ。 赤松円光ー黒田重光ー重勝ー重康ー光勝ー重貞ー重昭ー重範ー重隆ー孝高(如水) そして小寺職隆は黒田重隆の養子となっている。 ここからが黒田氏古史古伝の検証である。 永正8年(1511年)に船岡山の合戦があったが、他の資料では黒田高政の名前は一切出てこない。 それだけではなく。 『黒田家譜』以外の資料でも黒田高
2件9件

/1ページ

1件