黒田氏の謎(2) 黒田氏の古史古伝 永正8年(1511年) 船岡山で足利義種・細川高国と細川澄元・三好之長が戦った。(船岡山の合戦) 黒田高政はこの戦いで足利義種・細川高国陣営として参戦したが、軍令違反を犯して後に近江国伊香郡黒田村を幼い黒田重隆を伴って出奔する。 黒田高政は流浪して黒田一族の住む備前国邑久郡福岡郷へとたどり着いた。 この福岡郷は長船とも言い名刀の産地だ。 黒田高政はこの福岡郷で『玲珠膏』を作り刀鍛冶に販売して生活をしたが大永3年(1523年)に亡くなった。 黒田高政の跡を継いだ黒田重隆も福岡郷で生活をしていたが、福岡郷の支配しようとする浦上村宗に追われて播磨国姫路へと逃
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黒田氏の謎(3) 黒田氏古史古伝の検証(1) 黒田氏が佐々木源氏説を唱える『黒田家譜』での家系は以下の通りである。 京極満信ー黒田宗満(宗清)ー宗信ー高教ー高宗ー高政ー重隆ー小寺職隆ー黒田孝高(如水) 黒田氏が赤松諸家説を唱える『荘厳寺本黒田家略系図』での家系図は以下通りだ。 赤松円光ー黒田重光ー重勝ー重康ー光勝ー重貞ー重昭ー重範ー重隆ー孝高(如水) そして小寺職隆は黒田重隆の養子となっている。 ここからが黒田氏古史古伝の検証である。 永正8年(1511年)に船岡山の合戦があったが、他の資料では黒田高政の名前は一切出てこない。 それだけではなく。 『黒田家譜』以外の資料でも黒田高
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スゴいです(^O^)♪ 秋月藩士子孫も入っているのですが、 よく知らないので(^_^;)
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ありがとうございます♪ 来年のNHK大河ドラマではどちらの説を採用するか、興味がありますが。 今後も宜しくお願いします。
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黒田氏の謎(4) 黒田氏古史古伝の検証(2) 黒田氏の古史古伝で変な箇所は家系図だけではない。 近江国伊香郡黒田村の場所もそうだ。 この場所には現在でも黒田家邸跡と呼ばれる場所があり、黒田氏家祖の黒田宗満(宗清)の墓と呼ばれるものもある。 そして偶然だろうか? 黒田孝高(如水)が参謀を務めた豊臣秀吉が織田信長が作った織田軍を継承する為戦さ。 賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉が本陣を置いた場所なのである。 次に黒田高政が近江国を出奔した跡に訪れた備前国邑久郡福岡郷の妙興寺には黒田家の墓がある。 御着城跡には黒田孝高(如水)の祖父黒田重隆と母親の明石正風の娘の於岩の墓。 姫路には小寺職隆の墓が各
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おぉ~っと! 黒田二十四騎♪ 家の先祖は、 吉田ですが、 土岐氏養子です(^^ゞ 吉田の秋月藩の方は、血脈が絶えちゃったって事です(^_^;) 吉田家から豪商に嫁に出たのが、曾祖母です(^^ゞ 実家の話しを子どもに母親がするので、 揚羽蝶の女紋と共に、 私に伝わっています! 父方の先祖と、 母方の先祖の話しを 子どもが混乱しているケースも有るかもしれませんね! 父方の先祖が、 会津藩士という様に、 父が勘違いしてましたが、 曾祖母の実家が会津藩士で、 曾祖父は、岩手の商家でした! 我が家の先祖の話しを考えたら、 子や孫以降には、 先祖と、仕えた主などのエピソードまで混入した勘違い伝承が、 そ
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コメントをありがとうございます♪ ぴろさん、迂闊です。 そこまでのヒントを出したら全て分かってしまいますよ(笑) ここで話せるlevelでは、黒田二十四騎の一人、吉田六郎太夫長利の子孫のようですね♪ 揚羽蝶は八代氏の家系だからだと思います。 吉田姓は六郎太夫長利からなんで、父親の八代道慶は小寺則職の家老のような存在でした。 小寺則職の御着城を本城とした周囲の支城である八代山城で栄えた一族かと。 近くの同支城仲間の小寺職隆(黒田職隆)とか仲が良く。 八代道慶の奥さんに黒田孝高(如水)は乳を貰ったと言った話まで伝わります。 是非、時間があれば兵庫県姫路へ先祖の住んだ八代山城へ参っては
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