困っている人を助けるのと、困っていない人を助けたいと思うのは、ただの傲慢さです。私は普通に暮らす人々は助けたいとは思わないです。彼等は自身で学んでいるし、今の彼等が完璧であるからです。進みたい人は必ず気が付く事であり。本人の選択を邪魔することは、叡智への侮辱であります。 本当にいつもありがとう。 私は忘れていました。
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返信ありがとうございます。 それぞれの人々の叡知にしたがって動いた結果、誰かの役にたっていた。誰かの助けになっていた。というのはあるでしょうが、それも本来の姿に戻る過程なのでしょう。 まだまだ迷いもありますが、それも本来の姿に戻る過程と、haru さんの言葉に力をもらいました。 いつもありがとう。 新之助
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私も以前は迷っていました。ですが進むと決断して、他人の行動に一切判断する事をやめました。私から見てああ違うなと思えば自分を律し、あれでいいんだ苦しみを体験する道なんだと割り切りました。実際そうですから、そう考える事は傲慢でもありません。本人が望んでなくとも、原因と結果が見えてる以上。客観的に眺める事ですし、巻き込まれたならば、自分はまだ判断していると気が付くべきです。
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あの後も、少し迷いが出ましたが、自分が感じたままに動き出すことによって、他人の行動や言動に判断をくだすことはなくなりました。 すると、とても自分自身は気持ちが楽になったし、要らぬ争いを回避することができたように思います。 一番身近にいる他人の言動に一々反応して判断して、今思えば彼女のことを一番理解してあげていたつもりが一番理解できていなかったのかもしれません。 Don't think Feel ! ですね。
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FEEL 私もこの単語は何度も聞こえていました。

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