天照大御神は確か、天武天皇の時に妻の持統天皇を正当化するために地方神を、天皇家の先祖として祭ったとか。所謂国ッ神系は抹殺されたみたいですね♪伊勢神宮も本当は下宮の豊受持神?を大事にされてるとか
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天照大御神がまず男神か女神かの問題がありますね。 その手掛かりの一つに元伊勢と呼ばれる地があります。 また斎宮の存在。 斎宮に似た斎院は賀茂大神を慰める妻としての働きがあり、皇族子女が選ばれています。 伊勢国の国津神は、伊勢津彦神。 伊勢津彦神は太陽神でありましたが、建御名方神と共に諏訪へ落ち延びました。 現在の伊勢津彦神は風の神で諏訪の風間神社の祭神です。 風間神社の祝は、風間の姓を名乗っています。
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そうなんですか?勉強になりました!!タケミナカタは、諏訪に力比べで負けて鎮座されたとか?でも、それも歪曲されてるかなッと…所謂裏日本が当時は先進国では、それが蕎麦文化ではないかと。信州蕎麦、出雲蕎麦、そして山陰地方や、新潟、所謂越の国では蕎麦が発達しているのもある一族の移動の証しではないかと。それがタケミナカタ神の鎮座までの経緯ではないかと思います。
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元伊勢巡りは面白かったですよ♪ 蕎麦説は初耳ですね! 面白い説です。 ただ蕎麦が麺になったのは、明治からだと聞いています。 それまでは蕎麦の団子状にしたものだと……。 蕎麦は小判などで出てくる削りカスを団子に引っ付けるのに最適とか。 それが縁起物に代わったような話を聞きました。 僧侶が断食をする中で最盛期間は、蕎麦粉を水で溶かした物を食します。 昔は蕎麦が栄養価が高いとされていたようです。 私自身の考えは、建御名方神の逃亡ルートと翡翠の鉱脈が繋がるな! と、考えております。
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翡翠ですか!?そういう事もあながちあるかも!!蕎麦はおっしゃる通り今のように麺になったのは最近らしいですね。武田信玄の時でも蕎麦粉を水で溶いて箸でぐるぐるまわして塩をかけて食してらしいです。ソバがきみたいな食べ方ですかね
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そうですね。 ただ何故、金のカスを蕎麦で集めた理由は分かりません。 もしかすると翡翠の削りカスを蕎麦で集める風習があったのかも?! そして翡翠の鉱脈沿いは、稲作に適さない地で、蕎麦を植えていたのかもしれません。 その辺は調べてないので、想像ですが……。
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翡翠の鉱脈沿いは稲作に適しない…なるほど…蕎麦が発達したのはそういう背景あったのかもと 言う事は理論的ですね
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