真江島さま ご感想ありがとうございます。言葉の端々から、とても丁寧に読んでいただけたのだなと感じ、たいへんうれしく思います。 今回、氷室冴子青春文学賞に応募するにあたり、「少女」にうそをつかないことを自分に課して書き上げました。それが、読み手の方にまっすぐに伝わったのだと、このコメントを読んで思うことができました。 まだまだつたない筆運びですが、真江島さまにいただいた言葉を胸に、これからも誠実に書き続けていきたいと思います。 ほんとうにありがとうございました。
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あの、「さま」付けなどは、恥ずかしいので、ご勘弁ください。 全力でに読ませていただきました。縦書きにして、プリントアウトしました。「あ、この話は流してはいけない」とすぐにわかる出来栄えでしたから。 で、「自分ならこう書いてしまう」というひねりのない表現と、御作の「洗った言葉」(朝倉さんのこの表現は本当に的を射ています)の差を痛感しました。比喩も「サワガニ」や「のどを触らせないネコ」と新鮮で、工夫の凝らされた表現を目にするたびに「小説を読んでいるんだ」とのよろこびにも浸ることができました。 「少女」にうそをつかない。 このキャラクターに軸足を置いた組み立てが、私の話とは決定的に違います。 イ
縦書きでプリントアウト…! うれしすぎて、ウッと声が出ました… 拙作の『夏眠』もですが、縦書き設定の余白も込みで物語をつくっており(つくりたくて)、サイト上では横書き表示のため余白の余韻が出せないことをひそかにかなしく思っておりました。 縦書きでプリントアウト、などと手間のかかることををためらいなくやってしまわれる真江島さんは、きっと、書くにも読むにも「物語」というものを愛されているのだなあ、と思います。 『おやじドロップキック』、読ませていただきました。 先生方の講評に先に触れる形での拝読でしたが、読み終わり、わたしの読み手としての個人的感覚でいえば、母さんが死ぬことに意味はもたせなくてい
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あっ、「考えていまく」になってますね…!あふれる思いのまま打ちすぎました… 考えています、です。おはずかしい
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プリントアウトしてよかったです。 手もとにある『きみのゆくえに愛の手を』には学ぶべき所に赤い文字を入れております。 例えば「晴彦の骨や肉のラインに」の「骨や肉」 私なら「体」とすませてしまっています。 「思わずついた悪態が、風にむなしくさらわれていった」 私だと「悪態が口からこぼれ出た」とひねりもなんにもない。 置き去りにされると、漫画ではよくピューと風が吹いています。あれが「風にむなしく~」で表現されている。このひと工夫が臨場感を増す。とか。 「自分たちが強い側にいることに無自覚な人間がこわいのだ」 適切な場面でつづられるシリアスな内面語りが、キャラクターの厚みを増す。とか。 全体の組み立て
細かい表現まですくいあげていただいて、ものすごくうれしいのと同時に、こちらも、ひとつひとつの言葉選びにもっと自覚的にならなくてはいけない、と身が引き締まる思いです。 詩や短歌が好きでよく読むので、もしかしたらそのあたりの言語感覚を知らぬまに拝借しているのかもしれません。どこにチューニングを合わせて表現するのか(できるのか)、毎回とてもなやましいです… 「俳句か?」というの、吹き出してしまいました笑 名前はちがうのですが、コバルトさんの賞は実は第190回で受賞させていただいていて、そちらの選評では「読まれ方」に対する意識について学ばせていただきました。自分の見解と、登場人物の考えや視野が異なっ
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詩や短歌をたしなんでおられるのですか。なんか、納得です。 穂村弘さんのエッセイをたまーに読んでます。タイムリーなきらめきを放つフレーズがやたらめったらにおかしいのです。 ま、それぐらいです、私と短歌の接点は。 チューニング。カッコイイ言い方ですね。 私は「あまりに凝って、そこだけ浮いた文章にならないように」と、制作心得必殺ノートに書いています。チューニングとは、スマートさが全然違いますね。 このあたりの言語感覚もかなり異なることがよくわかりました。さすがです。 コバルトで受賞なさっているのですか。素晴らしい。 一度だけ応募したことがあり、あっさり落ちました。 私はモニター越しだとしっかりと
穂村さんがなにかの対談で、「文章を書いててウインクする瞬間」という表現をされていたのですが、それをやりすぎると「浮いてしまう」ことにつながるのかなぁ、とぼんやり思いました。 わたしばちばちウインクしてしまうのでほんっとうに気をつけないとと思います笑 コバルトの選評は、毎回とても勉強になるので目を通すようにしています。「そうか、そういう風に読む人もいるのか」と目からうろこな発言もあったり、でも全方位にポリコレを効かすのもむずかしいよなあ、と思ったり。 た、たしかに、出会いたてで意気投合しメールのやり取りをやめられない高校生みたいな気持ちになっています笑 話すことは尽きないですが、いったん
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『ままならないきみに』 導入がやはり上手いです。 二か月に一回のずる休み。 ちょっと不謹慎な言葉をささやかれると、興味が一気に増します。真似せねば。 私は編集Hと同じ考えです。 >ゆずるに対して、「こうしろ」と押しつけているわけではない。自分が勇気を出して行動したら「やってよかった」と心から思えたので「この気持ちを、ゆずるにも知ってほしい」以下略 >主人公の気持ちも非常に高揚してます。感極まるあまり、つい「辛いとは思うけど、それでも学校行かなくちゃ。そして、あんたを理解してくれる人に出会わなきゃ」て心で呼びかけずにはいられなかった。以下略 この二つの発言が、私の思いを上手くまとめてくれて
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もうずっとお礼ばっかり言っている気がしますが、ほんとうにありがとうございます。 コバルトの選評は、箇所によっては「ああ届かなかった…」となるところもあったので、すくなくとも真江島さんには届いたようで、うれしく思います。 わたしの場合、感覚を論理でむりくりつじつま合わせにかかる感じですね…。ぱっとひらめいた道具や描写をなんかそれらしく見えるように、ひととおり書き終わってから点検して小細工をしかけていくタイプです。 わたしも、論文を書いていたときの癖が抜けず、「序で立てた問いを必ず結で回収する」「この心情・展開にいたるまでにこの要素を書きましたまはい立証」みたいなことを物語でもやってしまいます
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やった。佐原さんと同じような段取りをふんで書いてます。 私は小説を書き始めて三年半ほどで、書き終えてから小細工を入れるようになったのがこの一年半ぐらいのことです。 「序と結の整合性」とは、頭とおしりをセットにするみたいなやつですか? 出だしや途中で投げかけたフレーズをラストで拾って、まとまった感じをかもす技っぽいやつ。最近になってようやく私もこの技に気付き、使えるように練習中です。 講評で「蹴っ飛ばしたところで切れば完璧」とのことでした。 言われてみれば、たしかにそんな感じが私もしました。 そうなんですけど、仮にもし、自分が書いているときにそういう終え方をできるかと問われれば、私はできないで
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