そう!マルセル・マルソー! 白い哀しい顔の道化師、フェリーニのサーカスのイメージです。 障害をテーマに扱うのは、勇気が必要です。私が悲しく感じるのは、「耳が聞こえない人のためのコンサート」みたいな偽善的なものです。聞こえないことを忘れている時だってあるのに、わざわざみじめな気持ちにさせる、残酷な行為です。 ウーはパントマイマーですから、音のない世界でも一流になれるはずです。そのことを、サーカスの仲間たちは、みんなわかってくれている。だからウーは傷つかないのかもしれません。 もし私が盲目になったら、迷わず音楽を続けます。もし、聾になったら、小説を書いて、絵を描いて過ごすでしょう。 できない
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ありがとうございます。なるほど、その意図を読み取れず、まだまだ不勉強でした。友人にそういった方がいらっしゃるのがわたしの日常なので、無意識のうちに世界に浸ったからかもしれません。 得手不得手というものは、誰にでもありますね。本当に。普通がいったいどういうことなのか、その点を考えると、個人的に人の数だけ普通があるということになるのかなと、未熟者ながらに思います。 文字だけの世界というのは、一見すると誤解を生じやすいですが、世界にある不平等を埋められる場所でもあるように感じます。でも、まだまだ修行が足りませんので、これもまた独りよがりというものでしょう。 まだまだ全然。わたしも一歩進んで五歩
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