私の書き物もマイページに書いて有るとおりにご当地密着で書いてます。 (^-^) 次回作の予定も隣町ですし、その次も住所地の物語を書く予定です。 (^^ゞ 当然ながら歴史小説は想像で書き連ねると薄っぺらいモノに仕上がってしまうので、あえて遠方に現地取材をされない方は既に詳しく分かっているか、調べやすい地元の物語になるのは致し方ないかと(*´д`*) あ、私のご先祖には知る限りで武家はおりませんので、そっちは書けないのが残念です。 (´д`) ただ、私の元の名字は結構珍しい方なんですが、なぜか名字と同じ名を冠している古城があるんですよ。繋がりが全く不明なんですけどね。
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コメントをありがとうございます♪ 私も先祖が武家ではないんです。 私の先祖は社家です。 これを言うと「北海道の出身」って聞かれますが……(汗) 苗字は東日本と西日本では成り立ちに差がありますので一概には言えません。 しかし苗字がないのは皇族くらいです。 伊賀は交易の道が栄えていたので、伊賀の機織りは有名でした。 だから伊賀の人は服織部→服部の姓が多いとか。 しょうようさんは画像から伊勢平氏なのかと思っていました。 だから北條氏?……って感じで(笑) 氏と同じ地名の大字、小字を調べたり、産土神を調べると繋がりが判明するかもしれませんね♪ ただ苗字を必要としない場合が五代六代と続くと忘れ
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実は桓武平氏・国香、伊勢流を自称して、家紋を揚羽蝶にしちゃおうかと画策中であります。 遠く遡ると先祖が伊勢国に住んでいたのか、三重県に同じ苗字が多数存在するところまでは突きとめたので、あながち…。 (^皿^)ウッシッシ しかし関西にお住まいとは羨ましい。 メジャーな人物ほど必ず京の都が絡んできますが、坂東の地からはあまりにも遠方なので現地取材も儘ならない状況が残念でなりませぬよ。 有名どころの物語を書きたくても書けない歯痒さがなんとも。 (´Д`)
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なるほど……伊勢国の関一族の揚羽蝶ですね♪ 確か平忠盛が一つ鱗と併用したとか。 私は平維将流の一つ鱗、平国香流の立浪、平親真流の木瓜も伊勢平氏では好物です♪ 何せ伊勢国には些か縁が御座いますので、小説の世界観も伊勢神宮外宮の度会氏の『天地麗気記』を選んだ次第です。 (;´д`)ハアハア 京阪神圏(京都・大阪・神戸)で育ったのは歴史好きにとっては日々luckyと感じます。 散歩感覚でいつの時代の物でも散策出来ますし、東京へ視線が集まれば集まるほど、オリジナリティ溢れる創作が出来そうです。 しかし平将門を始めとする源頼朝、北條一族、徳川累代の関東独立の思想も興味があり、関東へ引っ越したい
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伊勢平氏は元々平高望の子、国香が常陸大掾源護の娘を娶ってから大掾の地位を受けた事から始まる流れなので、とても興味があります。 (^^) あぁ、地元茨城県と三重県は平氏を通じて意外にも関係するんだなーって。 まぁ個人的には関一族の出と自称したとされる伊勢盛時が使ったとされる三つ鱗に非常に興味があるんですけどね(^皿^) もしかして北條氏を名乗った倅氏綱から使いはじめたのかもしれませんけど。 また茨城県は平将門の本拠地だし、平貞盛、藤原秀郷が大暴れした承平天慶の乱の本場でもあるので、その乱後に関東から伊勢を含めた日本各地に平氏が移って行ったのも意外な繋がりがあって面白い。 (*^ω^*)
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北条早雲は伊勢氏の流れだと思いますし、伊勢氏の家祖は平伊勢守頼宗。 伊勢長氏は主君の足利義視の伊勢国落ちに同行したのは伊勢国で再起を計る上で同族の力を結集しようとしたからだと考えれませんか?(笑) そうなら伊勢長氏は北條姓を名乗ってはいませんが、伊勢平氏をかなり意識していたと思います。 家紋も邪推してしまいますが執権北条氏の一つ鱗を三つ鱗へしたのは、一つが執権北条の権威。次の一つが伊勢氏の出。最後は伊勢平氏の血ではないかと……。 伊勢平氏が伊勢国を所領したのが、平清盛の祖父平正盛です。 平正盛が常陸国から伊勢国へと郎党を移動させた中には利根川流域の水軍将兵も混ざっていたのかなと思ったり
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成程、義視の伊勢落居は盛時か伊勢伊勢守の主導だったのかも知れませんね。 うーん、早雲伝を書いてるときは盛時の伊勢家を備中荏原庄に本貫を持つ備中伊勢氏と言う事にしてしまったので、それに固執して伊勢国の伊勢家を頭から消し去ってました。 ちょっと反省(-_-;) うほ、アテルイっすか。 名前は知っておりますが、そこまで行くとキャパ越えしてしまいますわ。 (^_^;)
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諸説がありますので、以下を流し読みをお願いします。 ・大道寺氏ー南山城国 ・松田氏ー南山城国 ・山中氏ー南山城国 ・荒木氏ー南山城国 ・荒川氏ー三河国 ・多目氏ー三河国 ・有竹(在竹)氏ー三河国 当時の三河国守護職の一色氏は伊勢国、丹後国を兼任。 井原市で伊勢盛時が1432年に生まれたとする。 1464年33歳の時に足利義視の近臣となります。 1467年36歳の時に足利義視と供に伊勢国へ下国となります。 1468年37歳の時、足利義視が上洛する一行に参加せず、駿府国今川へと行きます。 その際の資料に『今川龍王丸宛幕府奉行人奉書』(北野社家日記に所収)で「此御下知者伊勢新九郎方、同名右京亮
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これは早雲伝の新九郎駿河入りまでを一部変更したくなってくる説ですな(゚∀゚) 丁度今非公開にしてるから、ニュー早雲伝として書き直すチャンスかもしれない✏ サンプルとして頂きます(^皿^)
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構いませんが、必ず読ませて下さい♪ (*´∇`*)
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