「マジ万字企画 【キャラクター】編 書評④」

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「マジ万字企画 【キャラクター】編 書評④」

【④-A】『ジーンとアーロンの場合』 著:りふる 様    https://estar.jp/novels/24921804  前回もご参加頂きました、りふるさん作品です。今回も二作読ませて頂きました。  二作目くらいで概ね作家性が見えてきて、三作目辺りで何にチャレンジしているのかも見えてきます。今回読ませて頂いた二作はどちらもチャレンジ作品で、作風についての検討姿勢が垣間見えます。  どちらも同じ舞台での群像劇です。  魔物がいる世界。それを狩るハンターという連中がいる世界。  概要だけで見れば異世界物ですが、内容的にはヒューマンドラマです。魔物やハンターは、現状、舞台装置として使われていて、関節描写で詳細も描かれていませんが、個人的にはこの手法は好きです。  魔物という「何か」がいて、それを「なぜか」狩るハンター達の現況をキャラクター目線で追っていき、世界観をじっくりと浸透させ、彼等の立場や苦境にも同時に焦点を当てています。  キャラクターという意味では「魔物」もそれに該当するのですが、この作り方も「読者に妄想させるコンテンツ」である小説という媒体に合っています。  直接的な表現「外皮が固く、巨大な体躯で、空を飛ぶ翼があり、火を噴き、泣き声は山を震わせる」とか書かれても、そんなものは絵で描いてしまった方が早くて伝わりやすいわけで(別に公式コンテストを否定している分けではありません)、小説的なアプローチとしては「魔物」に対する恐怖や畏怖に対し、主人公達がどう「葛藤」していくのかを書き、その中で読者に「魔物」の像を想像させる方が、無制限に威圧感を増幅させていくはずです。 (以前書きました『照明理論』とはこの事で、映画よりも小説の方が向いていると考えています)  本作はまさにこの手法へのチャレンジで、「人」を主体とする群像劇とされているのも、私的には好感です。  こうした「魔物」の扱いも秀逸でしたが、特筆すべきは序盤の兄弟達の幼少期。  魔物に妻を殺され、憎悪の化身となってしまった父は魔物退治に没頭してしまい、子供達は置き去りにされ、食うにも寝るにも困る生活を強いられてしまいます。  幼いながらに必死で生きる為の道を探し、弟を想う兄の愛情と逞しさが描かれており、更には親という存在の大切さ、逆にそんな親を奪っている「魔物」への敵愾心が形成されていく様が行動で示される事で、キャラクターへの共感や愛着につながっています。  また、こうした行動を取る「兄」だから、こんな性格になる、と想像ができ、後半の行動への根拠となっていました。  度々書きますが、「優しい」とか「強い」といった漠然とした概念は、言葉で説明されてもいまいち伝わりません。「行動」で示さなければ感心が向きません。(現実でも同じですね)。  性格も同じで、行動にて浮彫にさせなければ、最終的な「会話」への説得力が生まれません。  安直な言葉に逃げず、しっかりと行動を見せるべきで、本作はお手本にできる素晴らしい出来でした。  中盤で「第二要素」が発生している点も、次作以降への伏線として効果的でした。  指摘としましては、「兄から弟へ」の想いは十二分に描かれていたのですが、「弟から兄へ」の想いが、言葉での説明になっているようでした。若干文量が増えてしまうかもしれませんが、こちらも何等かの行動で浮かび上がらせると、よりキャラクターが生きてくるかと思います。  あと、細かいかもしれませんが、幼少期の弟は「本を読むのが好き」だったようで、こちらも後半使えるかと。  さて、行動の大切が身に沁みて分かる作品でしたが、次は正に真逆でした。 【④-B】『拾って そして拾われて』 著:りふる 様    https://estar.jp/novels/24917416  会話による表現のみで物語を進めよう! という、真逆のスタイルでの挑戦ですね。  群像劇というスタイルからも、様々な手法への挑戦がテーマの一つになっているのでしょう。  正直、こちらのスタイルの方が難易度は高いです。私的な肌感だと、通常の三倍です。  会話はあくまで行動というフリがあって初めて生きてくるものですから、会話で進める場合はその中にフリとオチをつける、所謂漫才のような細工が必要になる場合が往々にしてあります。  本作では他者が他者を語る手法を一部で採用されていたので、読み心地とはしては悪くはありませんし、この難関へのチャレンジ姿勢が見えます。  でもやっぱり苦しそうだなぁ、という、印象を持ちました。  が、まぁ……そうした構造云々よりも、会話文が多くなってくると「りふる節」が顔を出してきますね! 爆裂な熱弁から、時たま思わぬワードセンスのチェンジアップを放られるアレです。  本来であればこれだけ作者の顔が出てきてしまうと「キャラの独立性が保たれない!」と指摘するべきなのでしょうが、私は「待ってました!」と拍手を送っていましたし、他の方も感想で書かれていたように、最早これは持ち味だと思いますので、指摘という無粋なツッコミはできません。  待っているファンの方も多いはずです。  会話文が長文化すると、どうしても作家の顔が出てきてしまいがちですが、これを持ち味にしている著名作家も多いですので(京極夏彦さんとか)、次回も期待しています! 『まとめ』  行動と会話はワンセット……となると、膨大な量のシーンを詰め込まなくてはいけないのでは? と思われがちですが、ほぼ全ての指南書において「その通り」と記載されています。これだけを詰め込んでも紙面に収まりませんので、泣く泣くカットになる場面の方が多いはずです。  またシド・フィールド師匠の言葉で「会話は人物の情報を語るか、物語を動かす情報以外、そもそも書く必要がない」とあります。それくらい徹底して無駄を削らなければ、行動は書ききれないという事です。あくまで脚本術での話ではありますが、小説にも当てはまると考えています。  一作目が特にこれを表わしている良い例でしたので、あえてこちらで語らせて頂きました。  りふる節、クセになりそうなのでまたのご参加をお待ちしております! (⑤へ)
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