第63回 瘴奸は武士・平野将監(ひらのしょうげん)へと戻り……歴史&作品ファン目線で考察するキャラの魅力

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第63回 瘴奸は武士・平野将監(ひらのしょうげん)へと戻り……歴史&作品ファン目線で考察するキャラの魅力

 諏訪の御柱祭と同時に、現在、長野県では北信濃の善光寺がご開帳で、大変な賑わいだということです。歴史ファンとしては『逃げ上手の若君』の連載開始だけでも驚きであるのに、いきなり現代の御柱祭の熱狂が描かれて始まった第63話には、信濃や諏訪で何か大きなエネルギーが動いているのではないかとまで感じてしまいました。  それにしても、諏訪の皆さんも、諏訪の私のご先祖様たちも、きっと喜んでいるだろうなと思うのです。松井先生、本当にありがとうございます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  さて、現在、中先代の乱は始まったばかりですが、鈴木由美先生の『中先代の乱』によれば次のように記されております。  時行方と信濃守護小笠原貞宗方が衝突したのは、七月十四日である。守護方は前日の十三日の時点ですでに軍勢を集めていたから、少なくともこれ以前に時行方は蜂起していたことがわかる。(中略)  反乱を起こしたのは、時行、諏訪頼重・時継と滋野一族であった。  まず七月十四日に、保科弥三郎・四宮左衛門太郎が信濃守護所の船山郡青沼に攻め寄せた。  ※滋野一族…『逃げ上手の若君』では、諏訪神党三大将のこと。  第62話、私がひそかに推しているモブキャラ・門番さんも涼しい顔で先陣を切っていますね!  また、『中先代の乱』には、作品の展開とはまた違う解釈ではあるのですが、「信濃守護を襲った軍と時行のいた本軍は別行動をとっていた」とあります。ーーそう、『逃げ上手の若君』では、最初から瘴奸狙いでしたね。  (今回、先にも記した御柱祭りや木曽義仲の「火牛の計」については、このシリーズの前回の記事を参照ください。 https://estar.jp/novels/25773681/viewer?page=63) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  話題変わって、『逃げ上手の若君』では、登場人物をいくつかのキャラクターに分類できると考えています。  まずひとつが、雫、亜也子、弧次郎、玄蕃、吹雪のように、子どもであり、少年漫画であることを十分に意識した架空の人物たちです。週刊少年ジャンプの三大原則「友情・努力・勝利」を体現する役割を持っています。漫画らしい痛快な面白さは、彼らの活躍によるところが大きいでしょう。  次に、足利尊氏、楠木正成、小笠原貞宗らのように、歴史上の人物で、記録等も比較的残っていて、その上で松井先生が史実をベースに大胆なキャラクター設定をしている人物たちです。大胆な設定を持ちながらも、キャラの持つエネルギーは、当時の社会的な背景と結びついていて、それがとりもなおさず、現代と現代人が共通して持つ課題を喚起させることが多々あります。  そして、これは私が最近特に興味を覚えているキャラクター群なのですが、瘴奸、清原信濃守、魅摩のように、名前や簡単な記録やエピソードは残っているものの、そこにはこだわり過ぎずに、その時代を生きた人々の命が吹き込まれたような人物たちです(学問のジャンルで説明すると、第二のキャラクターたちが社会学や歴史学的な示唆を与えるとしたら、第三のキャラクターたちは文学的なひろがりを持つといった印象です)。  この、第三のキャラクターたちに、松井先生がこれまで描いてきた作品のテーマももっとも反映されているような気がしています。  ーーあれ、主人公の時行やメインキャラクターの諏訪頼重を分類していないじゃないか、って? そうです、わざと外しました。  個人的に、時行は主人公でかつ子どもであるという点で、第一から第三までの要素をすべて合わせ持っているというのがしっくりきますし、諏訪頼重は大変微妙な位置にあるキャラクターで、子どもではないし実在の人物ではありながら第一の要素が強く、かつ、第三の要素を含みつつ、途中でストーリーを大きく転換させるだろうキーマンであろうことを予想しています(諏訪氏自体がリアルファンタジーなので、分類しがたいのかもしれませんが…)。  話を瘴奸に戻すと、古典『太平記』では、赤坂城主である「平野将監(しょうげん)入道」(「将監」とは、官名であると辞書にあります)が、楠木正成率いる後醍醐天皇・護良親王方として、幕府軍と戦っています。しかし、この赤坂城は給水源を断たれたため窮地に立たされ、降伏をします。  その際、平野将監は、楠木正成が強すぎるから「いったん難を遁れんために、心ならず御敵に属し候ひき」と訴えたのですが、捕らえられて六条河原で首を刎ねられてしまいます。ーーなんとも情けないエピソードの持ち主なのです。  確かに、楠木正成に「将監」を「しょうかん」と読み間違えさせたり、平野将監入道は生きていて外道の瘴奸となって信濃で悪行の限りを尽くしたかと思えば、貞宗のもとで優しい地頭様に変貌していたりと、漫画作品であってもそういう逸脱は許さないという考えの方々から見れば、お叱りのありそうなアレンジなのかもしれません。  しかし、私はむしろ、平野将監入道の魅力は『逃げ上手の若君』の瘴奸によって、増していると思わずにはいられません。先にも、その理由をこのシリーズの第60回で記していますのでそちらもご覧いただきたいのですが(https://estar.jp/novels/25773681/viewer?page=61)、古典『太平記』のとおりであれば、平野将監入道は降伏すれば命は助かると信じて、今度こそ本当に「いったん難を遁れんために」、城内の者たちと幕府に降ったのです。  『太平記』の語り手も、敵対する者たちへの見せしめに平野将監入道を幕府が処刑してしまったことを非難しています。歴史に「もし」はないと言いますが、〝もし、平野将監入道が、こんな無念な死に方をしなかったのであれば……〟という物語を想像(創造)できるのが、文学の世界であり、漫画だから許される〝お約束〟なのではないでしょうか。そして、その形であるからこそわかることも、救われる命も、あるのではないかと私は思うのです。 〔日本古典文学全集『太平記』(小学館)、岡見正雄校注『太平記』(角川文庫)、鈴木由美『中先代の乱』(中公新書)を参照しています。〕
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