第78回 大太刀や大岩はこの時代では標準的な武器だった!?…ことを古典『太平記』で確認しつつ「若いもん」と「おじさま」の対決にもの思う

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第78回 大太刀や大岩はこの時代では標準的な武器だった!?…ことを古典『太平記』で確認しつつ「若いもん」と「おじさま」の対決にもの思う

 絶対、諏訪時継どこかに潜んでるよね……と、思っていました。案の定、時行と弧次郎を見守っていた(存在感なくても、やはり物陰に隠れて「ドキドキ」している時継の健気さが笑いを誘う……)『逃げ上手の若君』第78話。  でも、斯波孫二郎はなかなかの曲者なので、墨とか泥とかぶちまけられたりしたらアウトなのではと、私もドキドキしていますが、天狗捕獲に時のような時継の活躍をまた見たいと思っています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  「岩松の馬鹿重い刀と言い 渋川の馬鹿長い刀と言い 最近の若いもんはえぐい得物(えもの)使いやがる」  ※得物…得意の武器。自分に適した武器。得道具。  日本古典文学全集の頭注によると、大太刀とは「長大な太刀」を言い、「当時は約四尺以上をいい、長い物は六尺以上もあった」とあります。約120~180センチメートルです。『平家物語』の時代の大太刀は三尺五寸(約105センチメートル)が標準ということですし、場合によっては、持ち主の身長を超えるような長さの太刀だったのではないかという印象です(『逃げ上手の若君』の渋川と岩松はまさにですね…)。  実際、古典『太平記』には、護良親王は足利尊氏に対抗するために大太刀を扱える者を積極的に召し抱えたということや、土岐頼貞という武将が五尺六寸(約168センチメートル)の大太刀を片手で操ったということが語られています。  また、新田義貞の部下には「新田四天王」以下、怪力自慢の者たちがいて、彼らは八尺(240センチメートル)の金棒を手にしています。それで騎手を斬って次々馬から落としたというのですからすさまじいものです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  武器の話を続けますが、岩松は「艶喰(つやずき)」、渋川は「千里薙(せんりなぎ)」と、自分たちの愛器にぴったりの名前を与えているのに、良くも悪くも若者らしいセンスを感じます(松井先生のセンスがナイスすぎるということですね。以下の※印の語注を参考にしてください)。  ※艶…「うるわしく光ること。光沢。」「若々しく、張りのある感じの美しさ。」のほか、「男女の情事に関したこと。色めいたこと。」という意味があります。  ※千里…非常に遠い距離。  ※薙…「薙ぐ」という動詞には、「横ざまに払って切る。また、倒す。」という意味があります。  「お おい! 何でも良い 武器よこせ 武器!」「やっぱ木じゃ駄目だ!」  「その木 こだわりあって使ってるんじゃなかったの!?」  望月重信の発言に、そういうのには慣れっこのはずの部下たちも驚きの反応。「樹木や岩」にわざわざ「神」と書いているのだって、諏訪神党ならではのもっともな理由と思い入れがあると私も思っていました。 第71回 小笠原貞宗に礼を尽くす時行…ほか、亜也子パパが手にする岩や丸太をめぐって調べたり考えたりしてみる https://estar.jp/novels/25773681/viewer?page=72  そういう点では、確かに亜也子パパは「雑」でかつ「旧世代」であることは否めない感があります。  しかし、岩だって怪力の持ち主ならば馬鹿にはならない破壊力を持ちます。やはり『太平記』中に、本性坊(ほんじょうぼう)という奈良の般若寺の僧が、大岩を(まり)くらいの大きさに砕いて二、三十個くらい投げたので、敵方の盾は打ち砕かれ、岩が当たった者はもれなく死傷したという記述があります。  ちなみに、本性坊は戦闘要員ではなく、お使いで笠置城に来たところを、劣勢になった官軍(後醍醐天皇方)に味方したとあります。怪力はこの時代の軍記物語ではデフォルトなのでしょうか……!? 武器に限らず、「まさしく少年漫画な世界である」という、『逃げ上手の若君』第78話の説明そのままですね。  パワーを生かす武器としての「俺が樹木や岩を使うのは 敵の刀を折るのに有効だからだが」という望月の発言はいいとして、「(あとタダだから)」という発想が、オッサンでNGなのかもしれませんね(笑)。確かに、『逃げ上手の若君』の関東庇番は、直義のえげつない金策があるので、お金の面でも勝ててないのが悲しいです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  若さと古さでは、やはり若さに軍配が上がってしまうのでしょうか。お金があるとないとでは、やはりお金がある方が圧倒的に有利なのでしょうか。  関東庇番は足利への忠誠が「狂気」となり、強さにつながっているのは確かです。ただ、個人個人の主張が強すぎる気がします。孫二郎はそれを心理的に操って戦いの全体を統べているようですが、孫次郎含めて庇番の一人一人に、若さゆえの驕りと脆さを感じるのは、私がオバちゃんだからかもしれません。  おじさまたちにだって意地があります。経験もあります。「狂気」ではなく諏訪神党はひとつとなっています。頼重とほかの大人たちは、若さの暴走に期待するのとは違う形で、時行たち子どもの可能性も信じています。  お金のことを言うのであれば、早々に鎌倉幕府は見限って(小笠原貞宗のように足利尊氏に味方して)、信濃での地位を固めてそこでの暮らしを守ればよかったのです。ーーでも、それはしなかった。  両者の戦う目的と強さの根本が違う気がするのも、私がオバちゃんだからかもしれませんね。 〔日本古典文学全集『太平記』(小学館)、ビギナーズ・クラシックス日本の古典『太平記』(角川ソフィア文庫)を参照しています。〕
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